最も閲覧数が多い人気コンテンツ「アクセスランキング」

秩父銘仙とは?なぜ裏表がない?|夜祭と絹の町の歴史

秩父銘仙のアイキャッチ。大胆な幾何学柄の着物とのこぎり屋根の織物工場、「秩父銘仙 なぜ裏表がない?」の文字 歴史・文化・雑学

ひとことで言うと:秩父銘仙は、織る前の「糸」に型で柄を染めるほぐし捺染(なっせん)で作る絹織物です。糸の段階で染めるので、布の表と裏が同じ柄になります。米が作りにくい山の町が養蚕と織物で暮らしを立て、大正から昭和初期には手ごろなおしゃれ着として全国で流行しました。いまは西武秩父駅から歩いて5分のちちぶ銘仙館(大人210円)で、糸取りから機織りまでを見て、体験もできます。

ほぐし捺染の4工程(たて糸をそろえる、よこ糸で仮織り、型紙で染める、仮のよこ糸をほぐしながら本織り)と、プリント生地は裏に柄が出にくいが秩父銘仙は表も裏も同じ柄になることを比べた図
ほぐし捺染は、織る前のたて糸に柄を染めるので、布の裏にも同じ柄が出る(模式図)

秩父の町を歩くと、ギザギザののこぎり屋根の建物や、2階の軒が張り出した古い商家に出会います。どれも、かつてこの町を支えた絹織物の名残です。秩父では「養蚕を含めると市民の約7割が織物にかかわっていた」と言われるほど、銘仙は町そのものでした。この記事では、秩父銘仙がどんな布なのか、なぜ秩父で生まれて全国に広まったのか、そして今どこで見られるのかを順番にたどります。

スポンサーリンク

秩父銘仙とは?ふつうの着物の布と何が違う?

銘仙(めいせん)は、絹糸で平たく織った普段着向けの着物の布です。高価な晴れ着ではなく、大正から昭和初期の女性たちが「ちょっとしたお出かけ」に着た、いわば当時のファッション着でした。群馬の伊勢崎・桐生、栃木の足利、東京の八王子とならび、秩父はその五大産地のひとつに数えられています。

そのなかで秩父銘仙を特徴づけるのが、柄を「布」ではなく「糸」に染めることです。プリント生地は織り上がった布の表から型をあてて染めますが、秩父銘仙は織る前のたて糸に型染めをします。だから染料が糸の芯まで入り、裏返しても表と同じ柄が出ます。ちちぶ銘仙館は、表裏が同じように染まるので「裏返しても同じように着られる」のが最大の魅力だと説明しています。

スポンサーリンク

なぜ裏表がないの?「ほぐし捺染」のしくみ

この技法で明治41年(1908年)に特許を取ったのが、秩父出身の坂本宗太郎です。手順はおおまかに次の4段階です。

  1. たて糸をそろえる:必要な本数のたて糸を、同じ長さで並べます(整経)。
  2. よこ糸でざっくり仮織りする:たて糸がばらけないよう、粗くよこ糸を通して、すだれのような状態にします。
  3. 型紙で柄を染める:仮織りしたたて糸の上に型紙をあて、色ごとに染めていきます。
  4. 仮のよこ糸をほぐしながら本織りする:機(はた)にかけ、仮織りのよこ糸を手で抜き取り(ほぐし)ながら、本番のよこ糸を織り込みます。

「ほぐし捺染」「ほぐし織り」という名前は、この4番目の作業から来ています。たて糸の柄と、無地のよこ糸の色が重なるので、柄の輪郭がわずかにかすれ、見る角度で色が変わる「玉虫効果」が出ることもあります。この少しにじんだような柄が、プリントにはない銘仙らしさです。

スポンサーリンク

なぜ秩父で織物が盛んになった?

理由は地形にあります。秩父は山に囲まれた盆地で、水田を広く開くことができません。そのため人々は、米の代わりに蚕を育て、繭から糸を取り、布を織って暮らしを立ててきました。ちちぶ銘仙館は、崇神天皇の時代に知々夫彦命(ちちぶひこのみこと)が養蚕と機織りを伝えたことが起源と「言われている」と紹介しています。これは伝承で、年代を確かめられる話ではありません。

銘仙の直接のルーツとされるのは、江戸時代の「太織(ふとり)」です。売り物にならない規格外の繭から糸を取って織った丈夫な布で、もとは野良着でした。この太織が「鬼秩父」と呼ばれるほど評判になり、庶民の普段着として広まります。ぶぎん地域経済研究所のレポートは、江戸初期に「鬼太織」の呼び名もあったと紹介しています。くず繭を無駄にしない工夫から生まれた布が、銘仙の原点です。

大正・昭和初期に全国で流行したのはなぜ?

明治になると、太織は「めいせん」の名で売られるようになります。そこへ明治末にほぐし捺染が加わり、無地や縞・格子が中心だった布に、大きな花柄や幾何学模様を大胆に染められるようになりました。絹なのに値段は手ごろで、柄は華やか。洋装がまだ一般的でなかった時代の女性にとって、銘仙は気軽に流行を楽しめる「おしゃれ着」になりました。

町の側も、それに応える力を持っていました。ちちぶ銘仙館によると、大正時代には機械化が進み、市内の織物工場は500〜600軒。前出のレポートは、昭和初期に約500軒の機元(はたもと)が年間約240万反を織り出したとしています。大正9年(1920年)に秩父を訪れた歌人の若山牧水は、町はずれまで機織りの唄声が続く様子を歌に詠んでいます。

豆知識:工場の屋根がギザギザなのはなぜ?
秩父には、のこぎり屋根の織物工場が今も残っています(山田の旧強谷織物工場は国の登録有形文化財)。ギザギザの短い面を北向きのガラス張りにして、一日中ほぼ同じ明るさの光を取り入れるためです。秩父市は、繊維の組織や色の組み合わせを見るのに適した屋根形式だと説明しています。強い直射日光が入らないので、色を見比べる織物の仕事に向いていました。

「銘仙」という名前の由来は?

語源には諸説あります。ちちぶ銘仙館が紹介している説では、明治30年代の初めに東京の三越で売られた際、「産地がそれぞれ責任を持って選んだ優良品」という意味で「銘撰」の字を当て、のちに「撰」が「仙」に変わったとされます。「銘」は品物に入れる作り手の名、「撰」は選ぶこと。品質を保証する名前だった、という説明です。ただし、これも一説として受け止めておくのがよさそうです。

秩父夜祭と絹の関係は?12月の「絹市」

12月2日・3日の秩父夜祭は、江戸時代の中ごろ、秩父神社の祭りに合わせて開かれた絹織物の大市「絹大市(きぬのたかまち)」とともに大きくなった祭りだと言われています(詳しくは秩父夜祭はなぜ12月?で解説しています)。絹の取引で潤った商人や機屋の財力が、豪華な笠鉾・屋台を支えたと考えられています。

この絹大市を復活させようと、いまは夜祭の2日間に「秩父夜祭絹市」が開かれています。秩父市によると2026年度は、12月2日が11時〜19時、3日が11時〜20時の予定で、会場は番場町の買継商(かいつぎしょう)通り・黒門通りです。買継商とは、機屋が織った布を買い集めて都会の問屋へ売る仲買の商人のこと。会場の名前そのものが、絹の町の歴史を伝えています。夜祭の当日の様子は秩父夜祭2026|有料観覧席4,000円と2日間の流れもあわせてどうぞ。

なぜ廃れた?いまも作られている?

暮らしが着物から洋服へと変わっていくと、銘仙の着物は売れなくなりました。ちちぶ銘仙館によると、秩父の織物は着物から夜具地・座布団地へと移り、いまは座布団カバーやこたつ掛けなどの室内用品に形を変えてきました。館の直売所では、織元のストールや巾着も買えます。

それでも技術は途切れていません。2013年12月26日、秩父銘仙は国の伝統的工芸品に指定されました。埼玉県では江戸木目込人形、春日部桐箪笥、岩槻人形に続く4例目です。ちちぶ銘仙館では、3年間で銘仙づくりを身につける後継者育成講座が毎月第2・3・4土曜日に開かれ、秩父市は、デザインコンテストで大賞に選ばれた秩父夜祭モチーフの新しい銘仙柄「矢文に雪洞」を、事前の承認を受ければ無料で使えるようにして、活用を呼びかけています。

秩父銘仙はどこで見られる・体験できる?

いちばん確実なのは、ちちぶ銘仙館です。建物は昭和5年(1930年)に建てられた旧埼玉県繊維工業試験場秩父支場で、大谷石を積んだ腰壁や大きな玄関ポーチがアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトの作風を思わせます。本館・工場棟・倉庫は2001年に国の登録有形文化財になりました。館内では糸繰り、整経、捺染、機織りの道具が工程順に並び、アンティークの銘仙も展示されています。

施設名ちちぶ銘仙館
住所埼玉県秩父市熊木町28-1
開館時間9:00〜16:00
休館日年末年始(12月29日〜1月3日)
入館料大人210円、小・中学生100円
電車西武秩父駅から徒歩約5分
車関越道 花園ICから約35分
電話0494-21-2112

補足すると、染め織り体験の受付は9:00〜11:30と13:00〜15:00で、すべて予約制です。手織りのコースター、藍染めのハンカチ、型染めのトートバッグや巾着(各1,500円)のほか、ほぐし捺染の工程を体験できるコース(10,000円)もあります。25人以上の団体は大人150円、小・中学生50円。秩父鉄道の御花畑駅からも歩けますが、所要時間は市が約5分、館が約10分と案内していて表記がそろっていません。休館日は館が「年末年始」、市が「12月29日〜1月3日」としています。車の場合、花園ICから皆野寄居バイパス経由で約35分(秩父市)ですが、駐車場の台数は公式に記載がないので、電話で確認してください。

見学のおすすめは毎月第2土曜日です。この日は繭から糸を取り、ほぐし捺染をし、動力織機で織るまでの工程を実演する日になっています(技術者の都合で一部休む場合あり)。秩父市は、かつての五大産地のなかで繭から銘仙までの全工程を見学できる施設はここだけだとしています。

町なかでは、番場町に秩父銘仙出張所(国の登録有形文化財)が残ります。大正から昭和初期、近郷の織物工場が製品を取引するために構えた出張所が並んでいた名残で、2階の軒を張り出した2戸1棟の建物です。秩父神社から番場通りを歩けば、絹の取引でにぎわった通りの雰囲気が感じられます。秩父銘仙出張所一(番場町1001番地)は個人の所有なので、見学は外からにとどめましょう。

よくある誤解

「銘仙は高級な絹織物」?

絹ではありますが、出発点はくず繭を使った普段着です。手ごろな値段で華やかな柄を楽しめたことが、大正・昭和の流行を生みました。いまはアンティークとして高値がつくものもありますが、もともとは「庶民のおしゃれ着」です。

「柄はプリントしたもの」?

秩父銘仙の柄は、織る前のたて糸に型で染めたものです。布に後からプリントしたものではないので、裏にも同じ柄が出ます。古着を見分けるときは、裏返して柄が同じように出ているかを見るのが手がかりになります。

「もう作られていない」?

着物の反物としての生産は大きく減りましたが、伝統的工芸品の指定を受け、織元や後継者育成講座の修了生が今も製品を作っています。ちちぶ銘仙館の売店やオンラインショップで、ストールや巾着などを買うことができます。

秩父の歴史をもう少したどるなら、和同開珎の銅が出た聖神社と和銅の話や、生糸の値段の暴落が引き金になった秩父事件も、絹の町の歴史とつながっています。

出典

確認日:2026年10月28日。開館時間・料金・体験の内容は変わることがあります。お出かけ前にちちぶ銘仙館の公式サイトで確認してください。

秩父市の関連記事

秩父市の最新ニュース・新店・イベント情報をもっと見る

タイトルとURLをコピーしました