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武甲山はなぜ削られている?|秩父のセメントと山の形

北側が階段状に白く削られた山のイラストと、点線で示したかつての山頂1336m、「武甲山はなぜ削られている?」の文字 歴史・文化・雑学

3行でわかる武甲山

  • 武甲山が削られているのは、山の北斜面にセメントの原料になる良質な石灰岩の層が厚く広がっているからです。約3億年前、南の海のサンゴ礁がもとになった岩です
  • 大正時代に秩父鉄道が通り、1923年に秩父セメントが生まれてから、東京の建物や道路を支える原料として本格的に掘られてきました
  • 明治の測量で1,336mあった山頂は採掘で失われ、いまの最高地点は国土地理院が2002年に発表した1,304mです

西武秩父線で横瀬や秩父に近づくと、正面に階段状に白く刻まれた大きな山が現れます。秩父のシンボル、武甲山です。南や東から見ると緑に覆われたふつうの山なのに、北側だけがピラミッドのように削られている。初めて見た人の多くが「あの山、どうしたの?」と驚く光景です。

答えは、武甲山が「山ごと資源」だからです。この記事では、事典や秩父ジオパークの資料をもとに、石灰岩がどこから来たのか、いつからなぜ掘られているのか、山の高さと姿がどう変わったのか、そしていま山がどう見えるかをたどります。

武甲山の標高の変化を示した図。1900年は明治の山頂1336m、1977年は三角点1295m、2002年に国土地理院が最高地点1304mを発表。1295mと1304mは測った地点の違いで、山が高くなったわけではない
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なぜ武甲山だけが白く削られているの?

武甲山の北斜面には、厚さ450mにも達する石灰岩の層が、約5kmにわたって地表に出ています(世界大百科事典)。石灰岩はセメントの主な原料です。これだけ大量の石灰岩が、大消費地の東京からそう遠くない場所に、しかも地表にまとまって顔を出している。それが武甲山が掘られてきた一番の理由です。

石灰岩は北側に集中しているため、掘られているのも北斜面です。だから北の秩父盆地から見ると白い階段状の山肌が目立ち、反対側から見ると昔ながらの緑の山のまま。同じ山なのに、見る方向でまるで別の山に見えるのはこのためです。

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その石灰岩は、どこから来たの?

武甲山の石灰岩のもとは、はるか南の海で生まれたサンゴ礁です。秩父ジオパークの資料によると、約3億年前、熱帯付近の海にサンゴ礁をのせた海底火山が生まれました。石灰岩からはフズリナ(紡錘虫)やサンゴ、ウミユリの化石も見つかります。

この海底火山とサンゴ礁は、海洋プレートに乗って長い時間をかけて北へ運ばれ、大陸の縁に押し付けられてはぎ取られ、陸地の一部になりました。それが隆起と浸食を経て地表に現れたのが、いまの武甲山です。秩父の山の上で、南の海の生き物の化石が見つかる。考えてみるとかなり不思議な話です。

石灰岩の山にしか咲かない花

石灰岩の土地には、そこにしか育たない植物があります。武甲山の北斜面には、チチブイワザクラなど石灰岩を好む植物が生え、「武甲山石灰岩地特殊植物群落」として国の天然記念物に指定されています。山を削る価値と、守るべき価値が、同じ岩の上にあるわけです。

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いつから、なぜ掘られるようになったの?

石灰岩は古くから漆喰などの原料として掘られていましたが、大量に掘られるようになったのは大正時代からです。1914年(大正3年)に秩父鉄道が秩父まで通ると、重い石を運び出せるようになり、本格的な採掘が始まりました(世界大百科事典「秩父市」)。

決定打になったのが、1923年(大正12年)1月の秩父セメントの設立です。当時、東京は日本一のセメントの消費地なのに、遠くの工場から運ぶ運賃がかさみ、相場が割高になっていました。原料の石灰石と粘土が山のふもとにそろう秩父に工場を建てれば、東京に安く届けられる。そんな計算から生まれた会社で、武甲山の石灰石を原料にセメントをつくり始めました。

戦後、東京が復興し、高度成長でビルや道路、ダムが次々と造られると、セメントの需要は一気に増えました。一方で秩父の暮らしを長く支えてきた養蚕や織物は衰え、セメント工業が秩父を代表する産業になっていきます。武甲山は、まさに首都圏の街をつくる材料を出し続けてきた山なのです。

山の高さと姿は、どれくらい変わったの?

採掘は山頂にまで及びました。1900年(明治33年)の測量では、武甲山の標高は1,336mでした。その後、採掘で三角点が移され、1977年(昭和52年)には1,295mとされます。1980年ごろには、もとの山頂付近が採掘のため発破で崩されました。

その後の調べ直しで、2002年(平成14年)に国土地理院は、三角点の西およそ25mの地点の1,304mを武甲山の最高地点として発表しました。いまの地図には、1,295mの三角点と1,304mの最高地点の両方が載っています。明治の1,336mと比べると、最高地点では32m、三角点では41m低くなった計算です。

失われたのは高さだけではありません。もとの山頂には、縄文時代から近代までの信仰の跡や巨岩が残っていましたが、採掘によって消えました。山頂にあった神社は、いまは現在の最高地点のすぐそばに移され、「武甲山御嶽神社」としてまつられています。武甲山は、秩父地方の総社である秩父神社の神奈備山(神の宿る山)でもあります。秩父夜祭とのかかわりは秩父夜祭の記事で紹介しています。

いまも掘られているの?石はどこへ行く?

武甲山ではいまも採掘が続いています。経済産業省関東東北産業保安監督部の2014年の資料には、秩父市と横瀬町にまたがる3つの石灰石鉱山が載っています。宇根鉱山(菱光石灰工業)、武甲鉱山(武甲鉱業)、三輪鉱山(秩父太平洋セメント)です。山肌が階段状なのは、上から順に段をつけて掘り下げる「ベンチカット」と呼ばれる露天掘りの跡です。

掘り出された石灰石の一部は、秩父鉄道の貨物列車で運ばれています。三輪鉱山の石灰石は影森駅を経由して、群馬県の叶山鉱山の石灰石は武州原谷駅で貨車に積み替えられて、熊谷の三ヶ尻駅から太平洋セメント熊谷工場へ向かいます。秩父鉄道の線路沿いで、灰色の石を満載した長い貨車の列を見かけたら、それが武甲山や周辺の山から来た石です。

所在地秩父市・横瀬町
標高最高地点1,304m(2002年発表)、三角点1,295m。明治の測量では1,336m
石灰岩北斜面に厚さ最大450m・長さ約5km。約3億年前の南の海のサンゴ礁がもと
採掘大正時代に本格化。1923年秩父セメント設立。2014年の国の資料で3つの鉱山
天然記念物武甲山石灰岩地特殊植物群落(チチブイワザクラなど)

削られた武甲山は、どこから見るといい?

階段状のピラミッドの形がいちばんはっきり見えるのは、真北にあたる横瀬町側です。西武秩父線の横瀬駅のホームからも、削られた北面がよくわかります。春の芝桜で知られる秩父市の羊山公園からは、芝桜の丘の向こうに武甲山がそびえる景色を楽しめます(角度が斜めになるため、階段の形はやや見えにくくなります)。

削られた姿を「痛々しい」と感じる人もいれば、「ふるさとの景色」と感じる人もいます。どちらも本当でしょう。ただ、自分の住む街のマンションや駅、橋のコンクリートの一部が、もしかしたらこの山から来ているかもしれない。そう思って見上げると、武甲山の白い階段は、首都圏の100年の成長をそのまま刻んだ年輪のようにも見えてきます。

参考資料

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