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吉川市はなぜ「なまずの里」?|川魚料理と金のなまず

吉川はなぜなまずの里?のアイキャッチ。水面を泳ぐ金色のなまずの親子と、吉川駅南口に金色のなまずの文字 歴史・文化・雑学

ひとことで言うと:吉川市が「なまずの里」と呼ばれるのは、江戸川と中川という2本の川にはさまれ、江戸時代から舟運の河岸(かし)でにぎわい、川魚料理の料亭が軒を連ねたからです。市によると「吉川に来て、なまず、うなぎ食わずなかれ」と言われるほどの評判で、家庭でも「なまずのたたき」が親しまれてきました。地震の言い伝えとは関係ありません。いまはJR吉川駅南口の金色のなまずモニュメントや、7月2日の「なまずの日」で、そのなごりに出会えます。

吉川市が江戸川と中川にはさまれた平らな低地にあることを示す模式図と、地形、河岸の舟運、川魚料理の料亭、家庭料理なまずのたたき、金色のなまずモニュメントなどまちの看板へと続く5段階の流れ
2本の川にはさまれた地形から、河岸・料亭・家庭の味をへて「なまずの里」へ(位置関係は模式図)

武蔵野線の吉川駅で降りると、南口のロータリーで金色に輝く大きななまずの親子が迎えてくれます。市のイメージキャラクター「なまりん」、春のマラソン大会の名前、7月の「なまずのぼり」まで、吉川ではいたるところになまずが登場します。けれど、なぜ数ある魚のなかで「なまず」なのかを説明できる人は、地元でも意外に少ないかもしれません。吉川市自身も公式サイトで「なぜ吉川は『なまず』なの?」というページを設けて、その理由を説明しています。

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吉川市はどこにある?まず地形を見てみよう

吉川市は埼玉県の南東部にあり、東は江戸川をはさんで千葉県の野田市・流山市、西は中川をはさんで越谷市・草加市、南は三郷市、北は松伏町に接しています。面積は31.66平方キロメートル、海抜は約4.2メートル(市の概況)。東西4.2キロ、南北8キロの細長い市域が、ほぼ平らな低地に広がっています。

この「2本の川にはさまれた平らな低地」という地形が、なまずの里の出発点です。市の歴史のページによると、太古の吉川周辺は入り組んだ東京湾の底で、海が退いたあとの低地に人が住み始めたのは古墳時代の後期以降。奈良時代の『万葉集』の東歌に詠まれた「葛飾早稲(かつしかわせ)」は、この一帯を含む葛飾の早生(わせ)の米のことで、千年以上前から米どころだったことがわかります。

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なぜ川魚料理が根付いた?河岸と料亭の町

江戸時代、吉川周辺は幕府の直轄地(天領)になり、新田開発で有数の水田地帯になりました。たくさんとれた年貢米や商品の米を江戸へ運ぶため、中川の舟運が発達し、吉川河岸・平沼河岸が物資の集まる港としてにぎわいます。吉川産の縄などのわら細工も、ここから江戸へ出荷されました。市によると、その伝統は近年まで国技館の土俵だわらづくりに受け継がれていたそうです。

人と物が集まる河岸には、食べ物の店ができます。市は、江戸時代の初めには河岸の近くに川魚料理を売り物にした料亭が軒を連ねたと説明しています。料亭は、物産とともに河岸に集まった人々の舌を楽しませたといいます。米を運ぶ舟が行き来する河岸は、人が集まり、お金が動き、食事をする場所でもありました。

市によると、吉川の川魚料理は「吉川に来て、なまず、うなぎ食わずなかれ」と言われるほどの名声があり、新選組の近藤勇や、元首相の福田赳夫氏、中曽根康弘氏も吉川で味わったといいます。市の説明でも「食していると言われています」という書き方で、いつ、どの店で食べたかまでは示されていません。

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家庭の味「なまずのたたき」とは?

料亭の味だけではありません。かつての吉川では、川魚漁や川で遊ぶ子どもの姿が日常の風景でした。家庭では、なまずの身を包丁でたたき、みそなどを練り込んで丸めて揚げた「なまずのたたき」が郷土料理として親しまれてきたと、市は紹介しています。いわば、なまずのつみれ揚げです。

料亭のごちそうと家庭のおかず、その両方になまずがいた。市はこの「川に親しんできた歴史・文化」こそが、吉川が「なまずの里」と言われるゆえんだとまとめています。

「なまずの里」が町の看板になるまで

吉川となまずの近現代の歩み
  • 1955年
    吉川町・旭村・三輪野江村が合併し、新しい吉川町に
  • 1973年
    国鉄(現JR)武蔵野線が開通

    吉川団地の建設もあり人口が増え、1991年には5万人を超えた

  • 1995年5月
    吉川駅南口に「金色のなまずモニュメント」
  • 1996年
    4月に市制を施行。同じ年、市内で吉川産なまずの養殖が始まる
  • 2002年
    なまずの里公園が開園(市の年表)
  • 2016年
    吉川市で初の「全国なまずサミット」
  • 2017年
    7月2日が「なまずの日」に

    広島県神石高原町で開かれた第2回サミットを機に、日本記念日協会が認定。7・0・2を「な・ま・ず」と読む語呂合わせ

  • 2026年
    市制施行30周年

昔ながらの川魚料理は、町が東京のベッドタウンとして大きく変わるなかでも残りました。そして市になるころから、なまずは「まちの顔」として意識的に打ち出されていきます。吉川産なまずの養殖は、市内三輪野江の農事組合法人吉川受託協会が平成8年(1996年)から手がけているもので、市の取材記事では、池に6,000匹以上がいて、年間の出荷は約2トンと紹介されています(取材時点の数字)。

金色のなまずモニュメントは何がすごい?

吉川駅南口のモニュメントは、平成7年(1995年)5月29日に設置されました。親なまずは長さ3.5メートル(本体全長4.8メートル)、台座を含めた高さは1.75メートルで、子なまずを従えています。

見どころは仕上げです。銅板をたたいて形をつくり、その上に日本産の漆を何度も焼き付けて金箔で仕上げた「金胎漆塗り」という技法で、市はよろいや兜にも使われた伝統的な漆芸の技法だと説明しています。制作したのは、のちの平成20年(2008年)に重要無形文化財「蒔絵」の保持者(いわゆる人間国宝)に認定された漆芸家の室瀬和美氏。駅前の記念撮影スポットは、のちに人間国宝となる漆芸家の作品なのです。

市によると、北口には特産の花しょうぶをデザインした噴水のモニュメントがあり、南のなまず・北の花しょうぶでセットになっています。駅の南北を通り抜けて、両方を見比べてみるのもおすすめです。

吉川でなまずに出会える場所と時期

いつでも:金色のなまずモニュメント

  • 場所:JR武蔵野線 吉川駅南口ロータリー(駅を出てすぐ)
  • 北口の花しょうぶの噴水モニュメントとセットで見られる

7月2日前後:なまずの日

  • 市長のメッセージによると、毎年この時期に中央公民館・市役所・おあしすに小学生がつくったなまずが飾られる。2025年は駅前に、市内企業の技術でつくった「なまずのぼり」も並んだ

4月初旬:なまずの里マラソン

  • 二郷半用水沿いのさくら通り(約500本の桜)が見頃の時期に開かれる市民マラソン

11月15日(日):吉川市民まつり

なまず料理を味わいたい人は、市が公開している冊子「なまずパーフェクトガイド」(市の観光ページからPDFで見られます)に、なまず料理やグッズを扱う店がまとまっています。メニューや営業日は店ごとに違うので、出かける前に各店で確認してください。

よくある誤解

「地震を起こすなまずの言い伝えから選ばれた」?

市の説明に地震の話は出てきません。江戸時代の鯰絵(なまずえ)のように「なまずが暴れると地震が起きる」という言い伝えは全国的なものですが、吉川のなまずは、川と河岸と料亭の歴史から来ています。

「なまずの里マラソンは秋の大会」?

市によると、なまずの里マラソンは毎年4月の初めに開かれています。秋の大きな行事は11月の吉川市民まつりです。

「吉川は昔から『吉川市』という名前だった」?

16世紀後半には、50戸以上の集落だった吉川郷・彦成郷の「二郷」と、その南の50戸に満たない「半郷」を合わせて「二郷半領(にごうはんりょう)」と呼ぶようになりました。さらにさかのぼると、市によれば室町時代の初めには、この地に「吉川市(よしかわいち)」と呼ばれる交易の市場が開かれ、人と物資が集まってにぎわったといいます。いまも「二郷半用水」などの名前に残っています。市になったのは1996年4月で、2026年がちょうど30周年です。

埼玉の川がつくった町の歴史は、利根川はなぜ曲げられた?や、川幅日本一の荒川を扱った日本一の川幅はなぜ鴻巣に?でも紹介しています。

出典

確認日:2026年10月28日。行事の日程や内容は変わることがあります。お出かけ前に吉川市の公式サイトで確認してください。

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