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聖神社はなぜ「銭神様」?|秩父の和銅と和同開珎

緑青色の和同開珎の形の円と秩父の山並み。聖神社が銭神様と呼ばれる理由を解説する記事のアイキャッチ 埼玉の歴史・文化・雑学

秩父市黒谷の聖神社(ひじりじんじゃ)が「銭神様」と呼ばれるのは、708年にこの近くで掘り出された自然銅(和銅)が朝廷に献上され、年号が「和銅」に変わり、銭貨「和同開珎」が造られるきっかけになったからです。神社は秩父鉄道の和銅黒谷駅から歩いて約5分。駅から20分ほど山あいを歩くと、銅を掘った露天掘りの跡と高さ5メートルの和同開珎のモニュメントが見られます。

年末ジャンボの季節が近づくと、「金運」「銭神様」という言葉と一緒に名前が挙がる神社です。ただ、ご利益の話だけで終わらせるにはもったいない場所でもあります。日本の年号が変わり、国が本格的にお金を造り始めた出来事が、この小さな集落から始まっているからです。この記事では、なぜ秩父で銅が採れたのか、和同開珎にまつわるよくある誤解、そして現地で何が見られるのかまでを順に追っていきます。

708年1月11日の和銅献上と改元、2月13日の聖神社創建(社伝)、5月11日の銀銭、8月10日の銅銭、709年の銀銭廃止の流れと、和銅黒谷駅から聖神社まで徒歩約5分、露天掘跡まで徒歩約20分の模式図
和銅献上から銅銭の発行までと、現地の回り方(模式図)
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「銭神様」の始まりは1300年前の献上品

奈良時代の正史『続日本紀』によると、708年(慶雲5年)1月11日(旧暦)、武蔵国秩父郡から「和銅」が献上されました。和銅とは、精錬しなくても最初から金属の状態で見つかる銅、つまり自然銅のことです。朝廷はこれを喜び、その日のうちに年号を慶雲から「和銅」へ改めました。年号の名前そのものが、秩父から届いた銅にちなんでいるわけです。

聖神社の社伝では、創建はその翌月の和銅元年2月13日。和銅の献上を機に祀られたと伝わり、のちに元明天皇も祭神に加えられました。お金の誕生に関わった土地の神社だから「銭神様」。金運の神様として親しまれているのは、この由来によるものです(秩父観光協会の紹介より)。

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献上から4か月で銀銭、7か月で銅銭が出回った

朝廷の動きは早く、献上から1年もたたないうちに新しい銭が出回りました。『続日本紀』に記された流れを並べると、次のとおりです(日付はいずれも旧暦)。

708年(和銅元年)の動き
  • 1月11日
    秩父郡から和銅を献上、「和銅」に改元
  • 2月11日
    銭の鋳造を担う役所(催鋳銭司)を置く
  • 5月11日
    銀の和同開珎の使用を始める
  • 8月10日
    銅の和同開珎の使用を始める

    翌709年に銀銭は廃止され、銅銭に一本化

同じ年には平城京への遷都の詔も出ています。新しい都を造るには大量の人と物を動かす必要があり、その支払いの道具として銭が求められた、という見方は教科書でもおなじみです。711年には、銭をためた人に位を与える「蓄銭叙位令」まで出されました。ただ、政府が決めた銭の価値は材料の銅の値打ちよりかなり高く、私的に銭を造る者が後を絶たなかったとも伝わります。

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なぜ秩父で「最初から銅」が見つかったのか

銅は普通、ほかの成分と結びついた鉱石として見つかり、熱を加えて取り出す必要があります。それなのに秩父では、なぜ金属のままの銅が採れたのでしょうか。

秩父ジオパークの解説によると、和銅遺跡は「出牛(じゅうし)-黒谷断層」という大きな断層の上にあります。約2億年前にできた外秩父の山の岩石と、約1500万年前の秩父盆地の地層がぶつかり合う境目で、断層に沿って岩が砕けた帯が続いています。現地に見えているのはチャートや砂岩で、銅を含む地層そのものはありません。そのため、周辺の銅を含む岩石が風化して溶け出し、水の中で金属の銅として沈殿したものを掘り当てた可能性が考えられています。ジオパークの解説では、銅の鉱石は付近の三波川帯の中で何か所も確認されているとされます。

ご神宝の「ムカデ」と和銅石

聖神社には、ほかの神社ではまず見かけない宝物が伝わっています。ひとつは、創建のときに掘り出されたという和銅石。13個のうち今は2個が残り、大きいものは17.6キロあるそうです。もうひとつが、元明天皇から下されたと伝わる銅製のムカデ(蜈蚣)で、オスとメスの一対。オスは長さ13.9センチで足が20対、メスは14.4センチで足が22対と、細かい違いまで記録されています(秩父市和銅保勝会の資料より)。これらは宝物殿に納められていて、ふだんは公開されていません。

なぜムカデなのかは、神社の資料にもはっきりとは書かれていません。「足(あし)」が多いことから、お金を意味する「お足」がたくさん集まる縁起物だと紹介されることがありますが、これは後から広まった語呂合わせと見るのが自然です。

よくある3つの誤解

誤解1:和同開珎は日本最古のお金

以前はそう教えられていました。しかし日本銀行貨幣博物館によると、1998年の飛鳥池遺跡(奈良県)の発掘成果から、それより前に「富本銭」が造られていたことがわかり、さらに前には「無文銀銭」も使われていました。和同開珎は「日本で最初のお金」ではなく、「国が本格的に流通させようとした最初期の銭」と考えるほうが正確です。

誤解2:和同開珎は秩父で造られた

秩父が送ったのは材料の銅です。秩父で銭を造ったという記録はなく、鋳造は山口県下関市の長門鋳銭所など、各地の工房で行われたとされます。「日本通貨発祥の地」という呼び名は、お金の材料と改元のきっかけを生んだ土地、という意味で受け取るのがよさそうです。

誤解3:読み方は「わどうかいちん」で決まり

教科書では「わどうかいちん」が一般的ですが、「わどうかいほう」と読む説もあり、江戸時代から論争が続いています。当時の正史に銭の名前の読みが書かれていないため、今も決着はついていません。年号は「和銅」なのに銭は「和同」と書く理由にも諸説があります。

現地で見られる場所と回り方

和銅にまつわる場所は、和銅黒谷駅を起点に歩いて回れる範囲にまとまっています。駅の名前自体、和銅献上から1300年にあたる2008年に「黒谷駅」から改められたもので、ホームにも和同開珎の大きなモニュメントが置かれています。

聖神社秩父市黒谷2191(秩父観光協会の表記)。秩父鉄道 和銅黒谷駅から徒歩約5分。駐車場あり。社殿は秩父市指定有形文化財(1963年に秩父市中町の今宮神社本殿を移築したもの)
和銅採掘露天掘跡埼玉県指定旧跡。和銅黒谷駅から徒歩約20分(秩父ジオパークの案内。和銅保勝会の案内では国道140号から約15分)。山の斜面に溝のような掘り跡が2本残り、沢沿いに高さ5メートルの和同開珎のモニュメントが立つ。見学者用の駐車場あり(秩父ジオパークの案内では普通車10台)
和銅鉱物館聖神社の境内。自然銅や孔雀石など和銅に関わる標本350点余りを展示。開館状況は聖神社(0494-24-2106)に確認を
金山鉱山跡・製錬所跡秩父市指定史跡。和銅献上から800〜1000年ほど後の戦国〜江戸時代に銅を掘った坑道と製錬所の跡

露天掘跡までは沢に架かる橋を渡り、階段を登る山道です。運動靴で行き、雨の後は足元に気をつけてください。秩父市和銅保勝会では見学の案内も受け付けています(申し込みは保勝会のサイトから)。回る順番は、駅→聖神社で参拝→露天掘跡とモニュメント→駅に戻る、が無理のない形です。神社と露天掘跡を往復して1時間半ほどを見ておけば、急がずに歩けます。秩父鉄道に乗れば、長瀞や秩父神社、美の山公園と組み合わせた1日の計画も立てやすい場所です。

年末ジャンボの前に参拝するなら

聖神社は「宝くじが当たる神社」として旅行メディアに取り上げられることの多い神社です。とはいえ、神社が当選を約束しているわけではありません。1300年前に秩父の人たちが銅を掘り、それが国のお金の始まりにつながった――その歴史に手を合わせに行く、くらいの気持ちで訪ねると、露天掘跡の静けさまで含めて楽しめるはずです。発売日や当せん確率は年末ジャンボ2026埼玉|11/24発売と当せん確率にまとめています。

よくある質問

Q. 聖神社の読み方は?
A. 「ひじりじんじゃ」です。

Q. 和同開珎の実物は見られますか?
A. 聖神社の宝物殿はふだん非公開です。実物は東京の日本銀行貨幣博物館などで展示されています(展示内容は時期により変わります)。

Q. 電車だけで行けますか?
A. 行けます。秩父鉄道の和銅黒谷駅で降りれば、神社まで約5分、露天掘跡まで約15〜20分です。

出典・参考にした資料

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