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安行はなぜ「植木の里」?|明暦の大火と江戸の緑

安行はなぜ「植木の里」?始まりは承応年間、広がったのは明暦の大火。川口市安行の植木畑のイラスト 歴史・文化・雑学

川口市の北東部、道の駅「川口・あんぎょう」のあたりに、植木畑や造園・植木の業者が集まる一帯があります。安行(あんぎょう)です。鋳物の町として知られる川口にあって、ここだけは昔から「植木の里」と呼ばれてきました。始まりは江戸時代の初め、一人の農民と、江戸を焼き尽くした大火事でした。

この記事の結論:安行の植木は、承応年間(1652〜1654)に地元の吉田権之丞が苗木や草花を育て始めたのが起こりとされます。明暦3年(1657)の大火で焼け野原になった江戸へ植木を送ったことで一気に広がりました。江戸に近い台地で運び出しやすく、水分の多い低地が挿し木に向いていたことが、産地として続いた理由です。いまは道の駅「川口・あんぎょう」や県の花と緑の振興センター(2,000種類以上の植物を展示)で、その歴史に触れられます。

安行が植木の産地になった理由の図解。標高約15mの台地は植木畑で日光御成道により江戸へ運べ、江戸から約20km圏。標高約5mの低地は元は田んぼで土の水分が多く挿し木に向く。年表:承応年間に吉田権之丞が苗木・草花づくりを始める、1657年明暦の大火で江戸へ植木を送り栽培が広がる、元禄時代に巣鴨・駒込を支える供給基地に、1923年関東大震災後に需要増と盆栽職人の移住、戦時中は普通の畑に、戦後再び広がり1956年に川口市と合併
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安行の植木は誰が始めた?

川口市の資料によると、安行の植木は承応年間に、安行の吉田権之丞(ごんのじょう)によって始められました(東京農業大学の論文は明暦年間〔1655〜1657〕としていて、始まりの時期には諸説あります)。川口緑化センター樹里安の紹介では、権之丞は若いころから草花や盆栽が好きで、珍しい草木を集めて育てたところ、安行の土と気候によく合った。そこで苗木づくりに力を入れ、育てた苗木や切り花を江戸へ運んで売ったところ大当たりした、と伝えられています。

ただ、権之丞その人についての記録はほとんど残っていません。墓は安行吉岡の金剛寺にあり、「安行苗木開発の祖」として埼玉県の旧跡に指定されています。市も「県指定ゆかりの偉人」の一人に挙げています。

ちなみに「安行」という地名は、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』によれば、中田安斎入道安行という人物の領地だったことに由来するとされます。

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なぜ「明暦の大火」で植木が売れたの?

権之丞が植木を始めた数年後の明暦3年(1657)、江戸の町の大半を焼いた明暦の大火が起きます。焼け野原になった江戸では、武家屋敷や寺社、町家の再建が一斉に始まりました。建物と一緒に必要になるのが、庭木や生け垣です。安行はこの復興の江戸へ植木や草花を送り込み、それをきっかけに栽培が大きく広がった——川口市はこう説明しています。

その後の元禄時代には、園芸を楽しむ文化が江戸の町人にまで広がり、植木の需要はさらに増えました。巣鴨や駒込といった江戸近郊の植木屋の町を、安行が後ろから支える「供給基地」になっていったのです。

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なぜ安行で植木がよく育つ?地形に秘密がある

もう一つの理由は土地そのものです。安行は大宮台地のいちばん南の端にあたり、標高約15mの台地と、標高約5mの低地が入り組んでいます。東京農業大学の研究によると、低地の植木畑は戦後まで田んぼだったところが多く、土の中に水分が多いため、枝を土に挿して根を出させる「挿し木」に向いているといいます。苗木づくりの産地にぴったりの土地だったわけです。

運ぶ道にも恵まれていました。江戸から約20km圏で、将軍が日光へ向かう日光御成道が台地の上を通り、植木を運ぶ道として使われたと考えられています。綾瀬川などの舟運もあり、肥料を運び入れ、苗木を運び出すことができました。

台地(標高約15m)水はけがよく、植木を育てる畑に。日光御成道が通り、江戸への運び出しに便利
低地(標高約5m)元は田んぼで土の水分が多い。挿し木で苗木をふやすのに向く
川綾瀬川などの舟運で、肥料を運び入れ、植木・苗木を運び出した

明治の後期になると、カタログによる通信販売や訪問販売も始まり、売り方の面でも先を行く産地になりました。

関東大震災のあとには「盆栽」も

安行が次に大きく伸びたのは、大正12年(1923)の関東大震災のあとです。東京の復興で再び植木の需要が高まり、生産は急速に広がりました。大正14年ごろには、駒込や巣鴨から盆栽の職人が移り住み、安行は盆栽の産地としても育っていきます。同じころ、東京の盆栽業者が集団で移り住んで生まれたのがさいたま市の大宮盆栽村です。江戸の大火、関東大震災と、東京が大きな災害から立ち直るたびに、埼玉の緑の産地が育ってきたことになります。

戦時中は食料増産のため植木畑の多くが普通の畑に変えられ、戦後の農地改革と高度経済成長で再び広がるなど、時代の波も受けています。

いまの安行は?
植木の仕事に就く人は減り、生産の中心は茨城県や千葉県などにも移りつつあります。それでも、植木の拠点としての役割は大きく、情報交換や研修の場としても使われています。昭和31年(1956)に安行村が川口市に合併してからも、「植木の里」の呼び名はそのまま残りました。

安行で植木の歴史に触れられる場所は?

場所所在地見どころ時期・料金など
道の駅「川口・あんぎょう」(川口緑化センター 樹里安)川口市安行領家844-2植木・盆栽・園芸用品の売り場、食事処。講習会やイベントも管理事務所9:00〜18:00。休みは年末年始と年2回の点検日(2月・7月)
埼玉県花と緑の振興センター川口市安行1015植木や観賞用の樹木を中心に2,000種類以上を展示4〜9月9:00〜16:30、10〜3月9:00〜16:00。年末年始休み。入場無料
金剛寺川口市安行吉岡1361吉田権之丞の墓(県指定旧跡)。約400年前の桃山様式とされる茅葺きの山門お寺の境内。参拝のマナーを守って
興禅院川口市安行領家401地名を冠した早咲きの「安行寒桜」が境内で見られる河津桜の少し後に咲く

花と緑の振興センターへは、埼玉高速鉄道の戸塚安行駅から歩いて約20分。JR武蔵野線の東川口駅南口から国際興業バス(西川口駅東口行き)に乗り、「花と緑の振興センター」で降りればすぐです。

注意 安行の植木畑の多くは個人や業者の土地です。道沿いから眺めるのはよくても、畑の中には入らないようにしましょう。

よくある質問

「安行」の読み方は?

「あんぎょう」です。駅名は埼玉高速鉄道の「戸塚安行(とづかあんぎょう)」です。

安行は何市?

川口市です。もとは安行村で、昭和31年に川口市に合併しました。

安行寒桜はいつ咲く?

河津桜の少し後に咲く早咲きの桜です。開花は年によって前後するので、出かける前に開花情報を確認してください。

参考:川口市「川口市の概要・歴史」/川口緑化センター樹里安「植木の里 安行」/東京農業大学の研究論文(安行の植木産地)/埼玉県花と緑の振興センター

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