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鴻巣はなぜ「ひな人形と花のまち」?宿場と田んぼの物語

鴻巣はなぜひな人形と花のまち? 歴史・文化・雑学

3行でわかる「ひな人形と花のまち」

  • ひな人形は、中山道の宿場町・鴻巣宿で江戸時代から作られてきました。京から来た人形師が住みついたのが始まりと伝わり、雛市は関東三大ひな市のひとつに数えられました
  • 花は戦後生まれ。1948年に寺谷(てらや)の農家がパンジーを育てて売ったのがきっかけで、いまはプリムラ類で全国の約4割を出荷する花の産地です
  • つまり2つの名物は、生まれた場所(宿場町と田んぼの村)も時代(江戸と戦後)もちがいます。それが1つの市の看板として並んでいるのが鴻巣です

鴻巣市が掲げるキャッチフレーズは「ひな人形と花のまち鴻巣」。2月にはピラミッド型では日本一の高さ約7mのひな壇、春には花まつり、秋には荒川河川敷のコスモスと、1年じゅう人形と花でにぎわいます。

でも、ひな人形と花。どちらも「かわいいもの」ですが、同じ理由で生まれたわけではありません。この記事では、鴻巣市観光協会や埼玉県の資料、鴻巣の花の産地を調べた地理学の論文をもとに、2つの名物がいつ、どこで、どうして生まれたのかをたどります。

鴻巣のひな人形と花の歴史の比較図。ひな人形は中山道の宿場町・鴻巣宿で江戸時代から、花は元荒川沿いの寺谷で1948年のパンジーから始まった
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鴻巣のひな人形はいつから?

鴻巣のひな人形づくりは江戸時代から続き、鴻巣市観光協会は「約380年の歴史」と紹介しています。

始まりには諸説あります。よく知られるのは、江戸時代の前期に京都の仏師が鴻巣に移り住み、土で作るひな人形を作り始めたという話です。国土交通省の広報誌も、宿場ができた鴻巣に京から江戸へとやってきた人形師が定住したことを紹介しています。

鴻巣は中山道で日本橋から数えて7番目の宿場町でした。京と江戸を結ぶ街道を、人も品物も行き来します。人形師にとっては、江戸に近く、旅人に品物が知られやすい場所だったと考えられます。

江戸時代の中ごろには鴻巣で雛市が開かれるようになり、「鴻巣雛」の名で知られました。江戸時代の記録には人形業者が30軒、職人が300人ほどいたとあり、宿場の一角が人形の町になっていたことがわかります。いまも市内には「人形町」という町名が残り、工房や人形店が並んでいます。

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なぜ鴻巣で人形づくりが盛んになったの?

理由のひとつは「桐」です。鴻巣周辺は桐の産地でもあり、桐のたんすや家具を作ったあとに大量のおがくずが出ました。このおがくずに糊を混ぜて練り固めると、人形の頭や体の型になります。捨てるはずの材料が、人形の材料になったわけです。

人形の着付けの腕も評判でした。埼玉県の資料によると、鴻巣は近代に越谷、江戸の十軒店(じっけんだな、いまの日本橋室町付近)と並んで「関東三大ひな市」のひとつに数えられ、とくに人形の着物の着付けは「関東一」と言われました。

赤い人形「赤物」も鴻巣の名物

鴻巣には、ひな人形のほかに「赤物(あかもの)」と呼ばれる郷土玩具があります。桐のおがくずに糊を混ぜて形を作り、全身を赤く塗った人形で、家内安全や魔除けの「獅子頭」、子どもの無病息災を願う「熊金・鯉金」(熊や鯉と金太郎)などがあります。赤は疱瘡(天然痘)を防ぐ魔除けの色とされ、人形師がお守りとして考え出したと伝わります。江戸中期から300年以上続く伝統で、「鴻巣の赤物製作技術」は国の重要無形民俗文化財に指定されています。

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「花のまち」はいつから?

花の歴史はぐっと新しく、戦後に始まりました。舞台は鴻巣の中心から少し離れた、元荒川沿いの寺谷(てらや)という集落です。

地理学者の斎藤功さんが1995年に発表した論文によると、寺谷は田んぼの収穫量がまわりより少なく、農家は戦中から戦後にかけて、庭先でナスやトマト、キュウリの苗を育てて売り歩いていました。

転機は1948年(昭和23年)です。農家の竹内武之助さんが、東京・新宿の種苗店にすすめられてパンジーを育てて売ったところ、食べ物が足りない時代にもかかわらず、野菜の苗よりよく売れました。近所の農家もこれにならい、1950年には寺谷で花を作る人が6人になります。

ここから先は早いものでした。花壇用の草花から、シクラメンなどの鉢花へ。1957年には30坪のビニールハウスが12棟建ち、1961年には250坪の大型ハウスも登場します。1966年には花の市場ができ、同じころ、夏のあいだ苗を涼しい高原に運んで育てる「山上げ栽培」も始まりました。栽培は寺谷からまわりの集落、さらに行田市や川里村(いまの鴻巣市川里)へと広がっていきます。

なぜ鴻巣で花の生産が伸びたの?

論文を読むと、花の産地が育った背景がいくつも見えてきます。

まず場所。鴻巣は東京の都心からほぼ50km。寺谷の農家は戦中から、育てた野菜の苗を担いで鴻巣駅から列車に乗り、東京の住宅地で売り歩いていました。都会に買い手がいることを、身をもって知っていたのです。

次に田んぼの条件。寺谷の後ろに広がる湿地の田んぼは土質が劣り、上流の箕田などより米の収穫が1反あたり1俵少なかったといいます。花の産地というと「土がいいから」と思いがちですが、寺谷の話は逆でした。米だけでは苦しい村だったからこそ、お金になる花に賭ける理由があったのです。

そして学び方と分担のしかた。鉢花の先進地だった江戸川区鹿骨(ししぼね)に見学に行っても技術は教えてもらえず、農家たちは作業を見よう見まねで覚えました。やがて米づくりは近所の農家に任せ、家族総出で花に専念する分業が生まれます。1966年には花の市場ができ、夏は苗を高原へ運ぶ「山上げ」で出荷を早めました。論文は、こうした家族と集落の協力、市場づくり、山上げを、産地が続いてきた理由として挙げています。

鴻巣市はパンジーを「市の花」に選び(1974年)、マンホールのふたにもパンジーが描かれています。

いまの鴻巣はどれくらい「花のまち」?

鴻巣市ではいまも200軒を超える農家が花を育てているとされ、寺谷・箕田・川里の各地区で鉢花や花壇用の苗が作られています。サクラソウの仲間のプリムラ類は、全国の生産量の約4割を鴻巣市が出荷しています(埼玉県)。

市内には東日本最大級の花の卸売市場「鴻巣フラワーセンター」があり、ここから首都圏や全国へ花が出ていきます。いまもパンジーの苗の一部は、夏の暑さを避けて標高1,400mの日光・戦場ヶ原で育てられています。

鴻巣で人形と花を楽しめる季節

2月下旬〜3月上旬鴻巣びっくりひな祭り(例年2月下旬〜3月上旬。2026年は2月20日〜3月7日、2027年の日程は公式発表を確認)。エルミこうのすに高さ約7m・31段のピラミッドひな壇
5月こうのす花まつり。荒川河川敷「ポピー・ハッピースクエア」は日本一広いとされるポピー畑
10月コスモスフェスティバル。同じ河川敷に約1,000万本のコスモス
1年じゅう鴻巣市産業観光館「ひなの里」で鴻巣びなや赤物を見学できる。人形町の人形店・工房も(営業日は各店に確認)

次に鴻巣を通るときは、中山道沿いの人形町と、元荒川沿いにハウスが並ぶ寺谷を見くらべてみてください。片や江戸の街道が呼びこんだ職人の町、片や米が取れずに苦しんだ田んぼの村。看板の2つの名物は、まったくちがう出発点から同じ「鴻巣」にたどり着きました。

参考資料

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