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深谷ねぎはなぜ有名?|利根川がつくった畑と藍の町

白い部分が長いねぎ2本が畑の上に横たわるイラストと「深谷ねぎはなぜ有名?」の文字 歴史・文化・雑学

3行でわかる深谷ねぎ

  • 深谷ねぎが有名になったのは、利根川の氾濫が何度も運んできた肥えた土と、冬の冷たい「赤城おろし」がそろう土地で、白い部分の長い甘いねぎが育つからです
  • 明治時代に藍に代わって栽培が広がり、大正時代には鉄道で東京などへ運ばれて「深谷ねぎ」の名が全国に知られました
  • 埼玉県はいまもねぎの農業産出額が全国1位(2023年、151億円)。旬は12月から3月です

鍋の季節になると、スーパーの売り場に並ぶ「深谷ねぎ」の文字。ねぎの産地はほかにもたくさんあるのに、なぜ深谷の名前だけがこれほど知られているのでしょうか。

答えは、利根川がつくった土と、藍の町だった深谷の歴史、そして鉄道にあります。この記事では、農林水産省や埼玉県、深谷市の資料をもとに、深谷ねぎが育つ条件、藍からねぎへ移り変わった歴史、名前が全国に広まった理由を順にたどります。

深谷ねぎが育つ3つの条件。土:利根川の氾濫が運んだ肥えた沖積土で白い部分を長く育てやすい。気候:冬の赤城おろしの寒風と夏の猛暑で甘くやわらかくなる。鉄道:大正時代に鉄道で東京など各地へ出荷し名が広まった
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そもそも「深谷ねぎ」はどんなねぎ?

深谷ねぎは、土を寄せて白い部分を長く育てる「根深ねぎ」です。白身が長く、糖度が高くてやわらかいのが特徴だと、農林水産省関東農政局は紹介しています。生で食べると辛みがありますが、火を通すととろりと甘くなるので、鍋やすき焼き、焼きねぎにぴったりです。

実は「深谷ねぎ」はひとつの品種の名前ではなく、深谷を中心とした産地のブランド名です。深谷市は2007年に「深谷ねぎ」の図形商標を取得し、市と、市内の出荷団体でつくる「深谷ねぎブランド化戦略会議」が商標使用の協定を結び、条件を満たしたねぎの出荷箱に専用シールを貼っています。対象は深谷市内の畑で植え付けから管理した根深ねぎが基本で、県内の利根川流域の畑のねぎも、2010年12月以前から深谷ねぎとして出荷されてきたものは対象に含まれます。

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なぜ深谷の土はねぎ作りに向いているの?

いちばんの理由は土です。深谷市の北側を流れる利根川は、昔からたびたび氾濫してきました。そのたびに上流から運ばれてきた土砂が積もり、肥えた沖積土になりました。関東農政局は、この土がねぎの栽培に最適な土壌になったと説明しています。

根深ねぎは、育つにつれて根元に土を寄せていき、光の当たらない部分を白く長く伸ばします。水はけがよく、やわらかい土でないと、まっすぐ長い白身には育ちません。川が何百年もかけて運んだ土が、ちょうどその条件に合っていたわけです。

気候も味方しています。深谷の冬は、群馬の赤城山から吹き下ろす冷たく乾いた「赤城おろし」が吹きつけ、夏は猛暑になります。県の資料は、この寒暖差と赤城おろしが野菜のおいしさを鍛え上げると紹介しています。秋冬のねぎは、冬の寒さで甘さが増すのも特徴です。寒さが厳しくなる12月から3月が、深谷ねぎのいちばんおいしい時期です。

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深谷は昔からねぎの町だったの?

いいえ、江戸時代の深谷周辺は「藍」の産地でした。藍は、藍染めの青い染料のもとになる植物です。江戸で木綿の着物が広まると藍染めの需要が増え、江戸近郊の農家も藍を作るようになりました。利根川沿いのこの地域は藍の栽培に向いていて、肥料にする干鰯(ほしか)も九十九里浜から利根川の舟運で運び込めました。埼玉の利根川流域や荒川流域で作られた藍は「武州藍」と呼ばれ、明治前期の埼玉県の藍の生産量は全国2位でした。渋沢家のある血洗島(いまの深谷市北部)も、その産地のひとつです。

渋沢栄一の家も藍を扱っていた

深谷市血洗島(ちあらいじま)にある渋沢栄一の生家「中の家(なかんち)」は、農業と養蚕のほか、藍の葉を買い入れて染料のもとになる「藍玉」を作って売る家でした。若き日の栄一も藍の商いを手伝い、各地を回っています。深谷のねぎ畑が広がる土地は、かつて栄一が歩いた藍の畑でもありました(渋沢栄一の生涯と深谷)。

その藍に代わって広がったのが、ねぎでした。関東農政局によると、深谷では明治時代に藍の栽培に代わってねぎの栽培が始まりました。藍の生産は明治30年ごろが最盛期でしたが、明治36年ごろから簡単に濃く染まる外国の合成藍が本格的に輸入されるようになり、手間のかかる天然藍は値段が暴落します。その中で、同じ肥えた畑を生かせる作物として、ねぎの栽培が広がっていきました。

「深谷ねぎ」の名前はどうやって広まったの?

名前を全国に広めたのは鉄道でした。1883年(明治16年)10月、日本鉄道が熊谷から本庄へ延びたときに深谷駅が開業し、深谷から東京へ直接荷物を送れるようになりました。関東農政局によると、大正時代には鉄道で東京など各地へ出荷され、「深谷ねぎ」の名が広まりました。

畑から駅へ、駅から東京の市場へ。産地の名前とともに届くねぎが、品質のよさで評判を得て、「深谷ねぎ」の名が定着していきました。「深谷ねぎ」の名付け親は、深谷で永徳屋商店を営み、のちに深谷市の初代市長になった安部彦平だと言われています。いまの商標の運用で、以前から深谷ねぎとして市場に出てきた県内の利根川流域のねぎも対象に含まれているのは、「深谷ねぎ」が深谷の駅と市場を通って出ていくねぎの名前として広がってきたことをうかがわせます。

いまの深谷ねぎと埼玉のねぎは?

埼玉県のねぎ農業産出額151億円で全国1位(2023年)。2位茨城、3位千葉
主な産地深谷市、熊谷市など県北の利根川沿い。深谷市の作付面積477ha(市町村で全国1位、2015年)、熊谷市の秋冬ねぎ4,940トン(2023年産)
旬12月上旬〜3月下旬(最もおいしい時期)
ブランド2007年に深谷市が図形商標「深谷ねぎ」を取得。専用シールで出荷
特徴白身が長く、糖度が高く、やわらかい根深ねぎ

表のとおり、ねぎ畑は深谷市だけでなく、熊谷市など県北の利根川沿いに広がっています。冬に深谷周辺を車で走ると、土を高く盛り上げた畝がまっすぐに続く景色に出会えます。お店で選ぶときは、白い部分が多く、緑と白の境目がくっきりしているものを選ぶとよいと県は紹介しています。

次に深谷ねぎを手に取ったら、白い部分の長さを見てみてください。その白さは、利根川が運んだ土の深さそのもの。藍の青から、ねぎの白と緑へ。明治にねぎ作りが始まってから100年あまり。深谷の畑は色を変えながら、いまも冬の食卓を支えています。

参考資料

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