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「ださいたま」は誰が言い出した?埼玉ディスの歴史

吹き出しに「ださいたま」は誰が言い出した?の文字。ラジオとテレビのイラストと、埼玉ディスの40年史 歴史・文化・雑学

3行でわかる「ださいたま」

  • 言い出したと言われるのはタモリさん。1981年のラジオ番組や、1982年秋に始まった「笑っていいとも!」で連発し、1984年ごろには流行語に
  • きっかけは、原宿の「竹の子族」に埼玉・千葉出身の若者が多いという話。県は本気で対策に乗り出し、1992年に「彩の国」の愛称を作った
  • 2015年に漫画『翔んで埼玉』が復刊、2019年の映画は興行収入37.6億円の大ヒット。ディスは「笑って楽しむネタ」に変わった

「ださいたま」。埼玉県民なら一度は耳にし、自分でも冗談まじりに使ったことがあるかもしれません。けれど、この言葉がいつ、誰の口から、どんな流れで生まれたのかを正確に知っている人は意外と少ないものです。

この記事では、1980年代のラジオとテレビから始まった「埼玉ディス」の歴史を、県の反応や漫画『翔んで埼玉』のヒットまで、年表とともにたどります。

「ださいたま」40年の流れ。1981年ラジオで「なぜか埼玉」が話題、1982年「笑っていいとも!」で連発、1984年ごろ流行語に・県議会でも論争、1992年県が愛称「彩の国」を制定、2015年『翔んで埼玉』復刊55万部超、2019年映画が大ヒット興行収入37.6億円、2023年続編公開
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始まりは1981年の深夜ラジオだった

話は1981年(昭和56年)2月にさかのぼります。タモリさんが担当していた『タモリのオールナイトニッポン』の名物コーナー「思想のない音楽会」で、さいたまんぞうさんの「なぜか埼玉」が流れ始めました。

もとは自主制作のご当地レコードで、地元の高校生が番組に送ったものでした。抑揚のない歌い方と脱力したメロディが深夜のリスナーに大受けし、同じ年の4月にはメジャーデビュー。約12万枚のヒットになります。タモリさんが埼玉に関心を持ったのは、このときからだといわれています。

当時のタモリさんは、ラジオの毒舌で若者にカルト的な人気を集めていました。名古屋を「エビフリャー」とからかうなど、地方や田舎者を笑いの対象にする芸風で知られ、埼玉もその「次の標的」になっていきます。

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「ダサい」と「埼玉」が結びついたのはなぜ?

決め手になったのは、当時の若者文化でした。日曜の原宿・歩行者天国で踊る「竹の子族」に、埼玉や千葉から来る若者が多いという話が広まると、タモリさんはこれを笑いのネタにします。

1982年(昭和57年)2月にはテレビ番組で、竹の子族の出身地を栃木・埼玉・千葉・神奈川とし、その頭文字をつないだ「トサチカ」という言葉を披露。同じ年の3月には、著書『現代用語事典ブリタモリ』にもこの言葉が載りました。竹の子族の奇抜な服装が「ダサい」と言われるなかで、やがて「ダサい」と「埼玉」をかけた「ださいたま」という言葉が使われ始めます(「ド埼玉」が変化したという説もあります)。

この言葉を全国区にしたのが、1982年10月4日に始まったフジテレビの『森田一義アワー 笑っていいとも!』です。お昼の生放送で繰り返し使われたことで全国に広まり、1984年ごろには流行語になりました。1983年2月には、「子どもが気にしているので否定してほしい」という主婦からの投書を、タモリさんが番組で笑いに変えたことも記録に残っています。

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埼玉県はどう反応した?

冗談として笑い飛ばす県民がいる一方で、県は事態を深刻に受け止めました。1983年(昭和58年)6月、県庁の中にイメージアップのための調査研究グループを設置。同じ年の広報誌『県民だより』9月号では、「なぜダサイ玉」をテーマに紙上討論会を開いています。

討論会には、当時の畑和知事、埼玉大学名誉教授の小野文雄さん、そして所沢出身のタレント・所ジョージさんがコメントを寄せました。畑知事は、県の意識調査で県民の86%が「埼玉が好き」と答えていることを挙げ、あか抜けないという評価は東京と比べた見方にすぎないと反論しています。

所ジョージさんの答えが面白い

所さんは、タモリさんが言っているのは冗談で仕事だが、自分は本当にそう思っている、と前置きしたうえで、強がりを言ったり見栄を張ったりするところがダサいのだと指摘しました。東京は仕事の場、埼玉は生活の場と割り切ればいい、若者はもっと東京志向でいい、とも。一方で、自然が残る埼玉は子育てには良いところだとも述べています。地元出身者ならではの、愛のある辛口でした。

騒ぎはさらに広がります。タモリさんが『笑っていいとも!』の生放送中に県庁へ電話取材を試みたこともあり、話題は県議会にまで持ち込まれました。1984年3月の県議会では議員と知事の間で「ダサイタマ」をめぐる質疑が交わされ、翌4月には研究グループの報告書『埼玉の魅力―イメージアップをめざして』がまとめられています。

なぜ埼玉はからかわれやすかったのか

一人のタレントの冗談が、なぜここまで根づいたのか。何人かの研究者が背景を指摘しています。

一つは地理と歴史です。埼玉大学名誉教授の小野文雄さんは、この地域が江戸を支える後背地として幕府の支配に組み込まれ、明治以降も県全体の中心となる都市を持たなかったことを理由に挙げました。歴史学者の武光誠さんは、江戸時代から江戸の住民が北武蔵をやや低く見る風潮があり、それが受け継がれたと指摘しています(埼玉県の誕生と歴史も参照)。

もう一つは、1980年代の人の流れです。地方から東京に出てきた人々が、結婚や住宅購入を機に郊外へ移り住み、「都心は上、郊外は下」という見えない序列が生まれました。埼玉に住みながら東京の会社や学校へ通う人を指す「埼玉都民」という言葉も、こうした暮らし方から生まれました。

「彩の国」はイメージ挽回の切り札だった

1990年代に入ると、県は反撃に出ます。1992年(平成4年)に知事となった土屋義彦さんは、県のマイナスイメージからの脱却を掲げ、同じ年の11月14日、県民の日に合わせて「彩の国」という愛称を制定しました。「彩」は色どりや美しさを表す言葉で、四季折々の色彩豊かな自然と、産業・文化・学術などさまざまな分野で発展する埼玉の多様さを表しています。

その後、さいたま新都心の整備、2002年のワールドカップ会場となった埼玉スタジアム2002、さいたまスーパーアリーナの開館と、大型の施設が次々に誕生します。こうした取り組みもあって、1980年代のように正面から「ださいたま」と言われる機会は減っていったといわれます。

埼玉県の対応の移り変わり。1983年研究グループを設置し県民だよりで紙上討論会、1984年県議会で論争・報告書『埼玉の魅力』、1992年愛称「彩の国」を11月14日に制定、2015年知事が「悪名は無名に勝る」とコメント。対策・反論の時代から受け入れて活かす時代へ

『翔んで埼玉』でディスは「楽しむネタ」に

ところが2010年代、埼玉ディスは思わぬ形で復活します。主役は、魔夜峰央さんが1980年代に描いた漫画『翔んで埼玉』。埼玉県民が東京で虐げられる架空の世界を描いたギャグ作品で、1986年に単行本に収録されていました。

2015年(平成27年)11月、日本テレビの『月曜から夜ふかし』でこの作品が紹介されると大きな話題に。翌12月に宝島社から復刊されると55万部を超えるヒットとなり、購入者の3割を埼玉県民が占めました。当時の上田清司知事は「悪名は無名に勝る」とコメントし、県もディスを受け入れる姿勢を見せます。

2019年2月22日には二階堂ふみさん、GACKTさん主演で実写映画が公開。公開最初の週末には、都道府県別の興行収入で埼玉が東京を抑えて全国1位になりました。最終的な興行収入は37.6億円にのぼり、日本アカデミー賞では最優秀監督賞などを受賞。2023年11月23日には続編『翔んで埼玉 〜琵琶湖より愛をこめて〜』も公開されています。

40年前、県が本気で対策を練った「ださいたま」は、いまや県民自身が笑って楽しみ、映画館に足を運ぶネタになりました。ヒットの理由は、県民自身が地元のディスを面白がって映画館に足を運んだことにあります。2015年の復刊時に上田知事が寄せた「悪名は無名に勝る」のお墨付きで、県が公認したディスという空気ができていたことも大きいでしょう。自分の地元をあえて茶化す「地方ディス」や「ふるさと自虐」の先駆けとも言える存在です。

数字で見る埼玉ディス。埼玉が好きな県民86%(県の意識調査)、「なぜか埼玉」約12万枚、『翔んで埼玉』復刊55万部超、そのうち県内での購入3割、映画の公開最初の週末に埼玉の興行シェアが全国1位、映画の興行収入37.6億円

結局、埼玉はダサいのか?

答えは、数字が物語っています。埼玉県の人口は約729万人(2026年9月1日現在の県の推計)で全国5位。都心へ30分ほどで出られる街がいくつもあり、新幹線が集まる大宮は東日本の玄関口にもなっています。

「ださいたま」は、東京のすぐ隣で、東京とは違う顔を探し続けてきた埼玉の、40年あまりの自画像のようなものかもしれません。からかわれても、自分で笑い飛ばせる。その懐の深さこそが、いまの埼玉らしさなのではないでしょうか。

「ださいたま」と埼玉ディスの年表
  • 1981年2月
    ラジオで「なぜか埼玉」が話題に
  • 1982年2〜3月
    「トサチカ」が登場
  • 1982年10月
    「笑っていいとも!」開始、番組で連発
  • 1983年
    県がイメージアップ研究、県民だよりで紙上討論会
  • 1984年
    流行語に。県議会で論争、報告書『埼玉の魅力』
  • 1986年
    『翔んで埼玉』が単行本に収録
  • 1992年
    愛称「彩の国」を制定
  • 2015年
    『翔んで埼玉』復刊、55万部超
  • 2019年
    映画公開、興行収入37.6億円
  • 2023年
    続編「琵琶湖より愛をこめて」公開

参考資料

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