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「味は狭山でとどめさす」|狭山茶はなぜ北の地で育つ?

茶畑の畝と湯気の立つ湯のみを描いた図 歴史・文化・雑学

3行でわかる狭山茶

  • 「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」は、狭山の茶づくりの歌の一節。色や香りより「味」の濃さが狭山茶の自慢
  • 埼玉は緑茶生産の「経済的北限」。寒さのため摘むのは年2回だけ。厳しい冬を越した肉厚の葉と、仕上げの「狭山火入れ」が甘く濃い味をつくる
  • 中世の「河越茶」が始まり。江戸後期に入間の吉川温恭・村野盛政が宇治の製法で復興し、明治には海外へ輸出された

狭山茶が「味は狭山でとどめさす」と歌われるのは、色や香りよりも、甘く濃い「味」が持ち味のお茶だからです。お茶の産地としては北の端に近い埼玉では、寒さのため茶葉を摘むのは年に2回だけ。厳しい冬を越した肉厚の葉を、仕上げの「狭山火入れ」で濃厚な味わいに仕上げます。

入間市や所沢市、狭山市などに広がる茶畑。静岡や京都の宇治と並んで名前の挙がる狭山茶ですが、関東の北で、なぜこれほどのお茶が育つのでしょうか。この記事では、有名な歌の一節の意味から、中世から続く歴史、北の地ならではのおいしさの理由までを、埼玉県茶業研究所や入間市・所沢市の資料をもとに紹介します。

色は静岡、香りは宇治、味は狭山という歌の一節を3つに分けて示した図
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「味は狭山でとどめさす」とはどういう意味?

「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」。この一節は、埼玉県が「狭山茶づくり歌」として紹介している歌の一部です。所沢市の資料では「狭山茶作り唄」「狭山茶摘歌」とも呼ばれています。狭山茶を語るときには必ずと言っていいほど引かれる言葉です。

意味はシンプルです。お茶の色なら静岡、香りなら宇治にかなわないかもしれない。けれど、味の良さでは狭山茶が一番で、最後に「とどめを刺す」。大産地への敬意を示しつつ、味では負けないという誇りが込められています。埼玉県も「味の狭山茶」として全国に知られていると紹介しています。

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北の地なのに、なぜお茶が育つ?

お茶はもともと暖かい地域の植物です。埼玉県茶業研究所は、埼玉県を「緑茶生産の経済的北限」と説明しています。商売として成り立つ規模でお茶をつくれる、ほぼ北の端というわけです。県の資料では、狭山茶をお茶の主な産地のなかで最も北にある産地としています。

寒い土地では、お茶の木の成長はゆっくりです。茶業研究所によると、狭山では寒さのために年に2回しか茶を摘みません。摘む回数が少ないぶん、狭山の茶葉は時間をかけてじっくりと育ちます。所沢市は、時折霜が降りる厳しい冬を越えた茶葉は厚みがあり、その肉厚の葉が甘く濃厚でコクのある味を生むと説明しています。埼玉県も、年2回しか摘めないことで品質が高く保たれると紹介しています。

寒さは不利な条件でもあります。それでも狭山でお茶がつくられ続けてきたのは、北の地ならではの濃い味を、さらに引き出す技があったからです。

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狭山茶の味を決める「狭山火入れ」とは?

狭山茶の味を語るうえで欠かせないのが、「狭山火入れ」と呼ばれる仕上げの技術です。茶業研究所によると、火入れは仕上げの段階で茶葉に熱を加えて乾燥させる工程で、お茶の保存性を高めると同時に、味と香りを良くします。狭山では古くから時間をかけた独特の火入れが行われ、甘く濃厚な味わいと、香ばしい「火入れ香」を生み出してきました。

もう一つの特徴が、「自園・自製・自販」です。狭山の茶農家の多くは、自分の茶畑で育てた茶葉を自分の工場で製茶し、自分の店で売っています。栽培から販売まで一つの家が手がけるため、同じ狭山茶でも農家ごとに味や香りの個性があり、飲み比べる楽しみがあります。

産地はどこ?:狭山茶というと狭山市を思い浮かべがちですが、埼玉県によると、県内最大の産地は入間市です。入間市には関東以北で最大規模の茶畑が広がり、県の茶業研究所もあります。県の資料では、所沢市、狭山市、飯能市、日高市、川越市など県西部を中心に、15の市町村が産地に挙げられています。

寒い冬、年2回の茶摘み、肉厚の葉、狭山火入れという流れと、自園・自製・自販の特徴をまとめた図

狭山茶の歴史はいつから?

狭山茶の始まりは、中世にさかのぼります。川越市や所沢市の資料によると、南北朝時代(14世紀)の書物に、お茶の名産地として「武蔵河越」の名が記されています。このころのお茶は「河越茶」と呼ばれていました。始まりについては、鎌倉時代に明恵上人が河越の地に茶を植えたという伝承などがありますが、確かなことはわかっていません。

戦国時代の争乱で、河越茶はいったん衰えたとされます。江戸時代に入ると栽培は再び広がり、後期には入間の人々の手で本格的な産業へと育っていきます。埼玉県によると、入間市宮寺の吉川温恭と村野盛政が、京都・宇治の製茶法を取り入れ、蒸し製煎茶をたくさんつくることに成功します。入間市によると、2人が江戸の茶問屋と正式な取引を始めたのは1819年(文政2年)6月のことでした。入間市の出雲祝神社には、村野氏・吉川氏と江戸の茶商・山本氏による茶業の再興を記した「重闢茶場碑」(入間市指定文化財)が、天保3年(1832年)に建てられ、いまも残っています。

明治時代に入ると、狭山茶は世界へ羽ばたきます。埼玉県や所沢市の資料によると、明治8年(1875年)、黒須村(いまの入間市)に製茶輸出会社「狭山会社」が設立され、アメリカへの直輸出に乗り出しました。このとき、それまでの「河越茶」に代わって「狭山茶」の名が統一ブランドとして使われるようになります。明治期の狭山茶は、生糸と並ぶ主力輸出品の一つでした。

14世紀の武蔵河越、1819年の江戸との取引、1875年の狭山会社、1971年のさやまかおり、令和6年産の719ha・838tまでの年表図

いまの狭山茶はどうなっている?

埼玉県の統計によると、令和6年産の茶の栽培面積は719ヘクタール、荒茶の生産量は838トンで、どちらも全国8位です。静岡や鹿児島のような大産地に比べると規模は小さいものの、北の産地として独自の存在感を保っています。

品種づくりも続いています。入間市にある埼玉県茶業研究所は、昭和3年(1928年)に設立され、これまでに11の品種を育成してきました。1971年に登録された「さやまかおり」は、寒さに強く、色と味が濃いのが特徴の品種です。2021年には新品種「さやまあかり」も登録されました。最近では、一般の紅茶に比べて渋みが少なく、ほんのり甘い和紅茶づくりも広がっています。

新茶の季節は4月下旬から5月下旬です。入間市は条例で、江戸の茶問屋との初取引にちなみ、6月の第1日曜日を「狭山茶の日」と定めています。新茶まつりの季節に茶畑を訪ね、農家ごとの味を飲み比べてみると、「味は狭山でとどめさす」の意味が舌でわかるかもしれません。

項目狭山茶の特徴
産地の位置緑茶生産の経済的北限(埼玉県茶業研究所)
茶摘み寒さのため年2回
仕上げ狭山火入れで甘く濃厚な味に
つくり方自園・自製・自販の農家が多い
規模(令和6年産)栽培面積719ha・荒茶生産量838t(いずれも全国8位)
新茶の時期4月下旬〜5月下旬
代表的な県育成品種さやまかおり(1971年登録)
狭山茶の日6月の第1日曜日(入間市の条例)

参考資料

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