3行でわかる浦和レッズと「サッカーのまち」
- 前身は1950年に神戸で生まれた中日本重工業(のちの三菱重工業)のサッカー部
- 東京で本拠地が見つからなかった三菱と、ホンダ誘致が頓挫した浦和が手を結び、1991年にJリーグ正会員に
- 浦和は1908年に埼玉師範学校で蹴球部ができて以来、高校サッカーの全国優勝を重ねた「サッカーのまち」
浦和レッズが浦和のクラブになったのは、Jリーグ参入を目指していた三菱自動車のサッカー部が東京で本拠地を確保できず、一方でJクラブを呼びたかった浦和市も本命の本田技研に断られていた――という「お互いに困っていた」状況が、1990年前後に結びついたからです。そして浦和が真っ先に候補に挙がった背景には、明治時代から続く「サッカーのまち」としての歴史がありました。
この記事では、神戸で生まれたクラブが浦和にたどり着くまでの道のりと、浦和が「サッカーのまち」と呼ばれるようになった理由を、クラブやJリーグ、さいたま市の公式情報、当時の関係者の証言をもとにたどります。駒場と埼スタという2つのスタジアム、主なタイトル、2026年の近況も短くまとめました。

浦和レッズのルーツはどこ?神戸で生まれた企業チーム
意外かもしれませんが、浦和レッズの出発点は兵庫県の神戸です。クラブ公式のプロフィールによると、1950年に中日本重工業(本社・神戸)のサッカー部として創部しました。その後、1952年に新三菱重工業神戸サッカー部となり、1958年にはサッカー部が東京本社へ移っています。
1964年に三菱重工業サッカー部となり、1965年には第1回日本サッカーリーグ(JSL)に参加しました。1990年に三菱自動車工業サッカー部へと名前が変わり、ここからプロ化の話が本格化します。つまり、プロリーグ構想が動き出した時点では、チームの拠点は東京だったのです。
なぜ浦和がホームタウンになった?東京断念とホンダ誘致の頓挫
三菱がまず考えたのは、地元・東京での参入でした。三菱側の中心人物として交渉にあたった森孝慈さんは、地元のサッカーメディア「浦和フットボール通信」による2010年のインタビューで、国立競技場を理想のホームとし、駒沢や江戸川の陸上競技場も候補にしていたと振り返っています。社内でも「東京で」という声が強かったものの、スタンドの収容力などがJリーグの参加条件に合わず、断られ続けたといいます。
一方の浦和市側にも事情がありました。同じ証言によれば、当時の浦和ではJクラブ誘致は本田技研で決まるというのが「常識」でした。ところがホンダは静岡県浜松を本拠とする方針で、Jリーグ参加を見送ります。誘致の当てを失った浦和の関係者がプロリーグ設立の中心にいた川淵三郎さんに相談したところ、三菱の森さんを訪ねるよう勧められた――これが浦和レッズ誕生の発端だったそうです。
最初の話し合いは、東京・西が丘近くのファミリーレストランで、三菱側と浦和側の4人で行われたと伝わっています。森さんは「渡りに船」だったと語りつつ、社内の候補地資料ではいつも浦和が一番上に書かれていたこと、浦和が昔からサッカーの盛んな土地であったことが大きな理由だったと述べています。
「なぜ浦和?」の答え:三菱は東京で条件に合うスタジアムを確保できず、浦和市は本命だったホンダの誘致に失敗していました。両者の利害が一致したうえで、「サッカーどころ」という浦和の土地柄が決め手の一つになったと、三菱側の森孝慈さんが証言しています。
こうしてクラブは1991年にJリーグの正会員となり、1992年に株式会社を設立して「三菱浦和フットボールクラブ」に。1993年のJリーグ開幕から参加しています。現在の「浦和レッドダイヤモンズ」になったのは1996年です。なお、ホームタウンの浦和市は2001年に大宮市・与野市と合併してさいたま市となりましたが、クラブ名には「浦和」がそのまま残っています。
浦和はなぜ「サッカーのまち」と呼ばれる?始まりは1908年の埼玉師範
さいたま市によると、埼玉サッカーの発祥は明治41年(1908年)、埼玉県師範学校(現在の埼玉大学)に蹴球部が創設されたことだとされています。市のパンフレットでは、教師の細木志朗さんが生徒にサッカーを教えたことが「サッカーのまち」の始まりと紹介されています。国際サッカー連盟(FIFA)が1904年に発足してから、わずか4年後のことでした。
浦和レッズの公式サイトも、この師範学校がポイントだと説明しています。ここでサッカーを覚えた学生たちが教師となって県内各地の学校に散らばり、サッカー文化を広げていったからです。クラブのエンブレムに描かれている建物は、旧埼玉師範学校の校舎「鳳翔閣」。公式サイトは、浦和にサッカーが伝わってから84年後にJリーグとともに生まれたのが浦和レッズだ、とも書いています。
浦和の高校はどれだけ強かった?選手権の優勝記録
師範学校から広がったサッカーは、高校で花開きました。デイリースポーツの全国高校サッカー選手権の歴代記録をたどると、浦和の高校の優勝は次のとおりです(年度表記)。
- 浦和高校(県立浦和):1951年度、1954年度、1955年度
- 浦和西高校:1956年度
- 浦和市立高校:1959年度、1960年度、1964年度、1972年度
- 浦和南高校:1969年度、1975年度、1976年度
4校で計11回。さらに同じ記録では、戦前の1937年度に埼玉師範も優勝しています。さいたま市の広報誌は、かつて「浦和を制するものは全国を制する」と言われたと紹介し、浦和レッズの公式サイトも「埼玉を制する者は天下を制す」という言葉を挙げています。表現は少し違いますが、県予選を勝ち抜くことが全国制覇に等しいほど、浦和周辺のレベルが高かったということです。

浦和の人たちにとって、サッカーは企業チームがやって来る前から「地元のスポーツ」でした。三菱の森さんが浦和を「由緒ある場所」と評したのも、この積み重ねがあったからだと考えられます。
駒場と埼スタ、2つのホームスタジアムはどんな場所?
浦和区にある浦和駒場スタジアムは、浦和レッズのホームスタジアムの一つです。Jリーグ公式のクラブ情報では入場可能数は21,481人。浦和の中心部に近く、旧浦和市時代からのサッカーの舞台として地元になじみの深い場所です。
現在の主なホームは、緑区美園の埼玉スタジアム2002です。さいたま市の広報によると2001年7月に完成し、観客席は6万3,700人とアジア最大級、日本最大のサッカー専用スタジアムとして誕生しました(Jリーグ公式の入場可能数は62,040人)。埼玉県の施設案内では、スタジアムを含む公園の開設は2001年10月となっています。
2002年のFIFAワールドカップでは、日本代表の初戦・日本対ベルギー(6月4日、2対2)を含む計4試合が行われ、準決勝の会場にもなりました。真っ赤に染まったスタンドの光景は、いまや「浦和」のイメージそのものです。

浦和レッズはどんなタイトルを獲ってきた?
Jリーグ公式のクラブプロフィールに載っている主なタイトルは、J1リーグ優勝1回(2006年)、リーグカップ優勝2回(2003年、2016年)、天皇杯優勝4回(2005年、2006年、2018年、2021年)、そしてAFCチャンピオンズリーグ(ACL)優勝3回(2007年、2017年、2022年)です。
3度目のアジア王者となったACL2022は、日程の関係で決勝が2023年にずれ込みました。日本サッカー協会によると、2023年5月6日に埼玉スタジアム2002で行われた第2戦でアルヒラル(サウジアラビア)に1対0で勝ち、2戦合計2対1で大会史上最多となる3度目の優勝を決めています。この日の入場者は53,374人でした。
一方で、順風満帆だったわけではありません。1999年シーズンの結果J2に降格し、2000年はJ2で戦いました。J1に復帰したのは2001年。その後の2000年代半ばからタイトルを重ねていきます。
- 1908年埼玉県師範学校に蹴球部が創設
- 1950年中日本重工業(本社・神戸)サッカー部が創部
- 1965年三菱重工業として第1回日本サッカーリーグに参加
- 1990年三菱自動車工業サッカー部に
- 1991年Jリーグ正会員に(ホームタウン浦和)
- 1993年Jリーグ開幕
- 1996年浦和レッドダイヤモンズに改称
- 2001年さいたま市誕生、埼玉スタジアム2002完成
- 2006年J1リーグ初優勝
- 2023年ACL2022決勝に勝ち3度目のアジア制覇
2026年の浦和レッズと、大宮とのダービーは?
Jリーグは2026-27シーズンから秋に開幕し春に終わる日程に移り、新シーズンは2026年8月に始まりました。浦和レッズも埼玉スタジアム2002を拠点に、新しいカレンダーでの戦いに入っています。
同じさいたま市にはRB大宮アルディージャ(2025年に大宮アルディージャから改称)もあり、両者の対戦は「さいたまダービー」と呼ばれます。さいたま市のパンフレットによると、大宮は2004年にJ1昇格を決め、2005年からJ1でのダービーが実現しました。浦和と大宮の地域としてのライバル関係は、サッカーよりずっと前にさかのぼります。その経緯は浦和と大宮はなぜ仲が悪い?|対立の150年史で詳しく紹介しています。
埼玉にあるほかのプロチームについては埼玉のプロスポーツ2026-27|全30チームと変更点にまとめました。同じく「なぜこの街に?」の物語を持つ球団として、西武ライオンズはなぜ所沢に来た?もあわせて読むと、埼玉とプロスポーツの関係が見えてきます。
参考資料
- クラブプロフィール(浦和レッドダイヤモンズ)
- ホームタウン(浦和レッドダイヤモンズ)
- 浦和レッズ クラブ情報・スタジアム(Jリーグ公式)
- 浦和レッズ クラブプロフィール(Jリーグ公式)
- ARCHIVE:2010.8.9 森孝慈 ラストインタビュー[最終回](浦和フットボール通信)
- 浦和タウンミーティング第3回 森孝慈さんを偲び。浦和レッズの原点を知る(2)(浦和フットボール通信)
- 「サッカーのまち さいたま」について(さいたま市よくある質問)
- サッカーのまち さいたま パンフレット(さいたま市)
- 市報さいたま 令和3年7月号 特集「スポーツのまち さいたま市とオリンピック」(さいたま市)
- ○○年前のさいたま(市報さいたま・さいたま市)
- さいたま市誕生20周年特設ページ ○○年前のさいたま(6月編)(さいたま市)
- 埼玉スタジアム2002公園(埼玉県)
- 全国高校サッカー選手権 歴代優勝校(デイリースポーツ)
- 浦和、アルヒラルに2戦合計2-1勝利で大会史上最多3度目のアジア制覇(日本サッカー協会)
- 浦和レッズの試合日程・放送予定(GOAL)

