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埼玉発祥のチェーン店はどこ?|しまむら・日高屋・山田うどんほか6社

店舗の並ぶ図形イラストと「埼玉発祥のチェーン店はどこ?」の文字 歴史・文化・雑学

3行でわかる埼玉発祥のチェーン店

  • しまむら・ヤオコーは小川町、山田うどん・ぎょうざの満洲は所沢、日高屋は大宮、ベルクは秩父が出発点
  • 山田うどんは1966年にドライブイン型の店を開き、日高屋は郊外ではなく駅前を選んだ
  • 県外で働く・学ぶ人が多い埼玉は、首都圏全体を相手にしやすい土地だったと考えられます

しまむら、日高屋、山田うどん、ぎょうざの満洲、ヤオコー、ベルク。どれも埼玉県内の町で生まれ、いまも県内に本社を置くチェーンです。共通しているのは、小さな商店や食堂から始まり、「埼玉の外の客」までつかまえる仕組みを早い段階でつくったことです。

この記事では、各社の会社概要・沿革や有価証券報告書で確認できた創業地・創業年・本社・店舗数を一覧にし、公式の沿革や経営者本人の発言から「なぜ埼玉から広がったのか」をたどります。確かめられた事実と、そこからの推測は分けて書いています。

6社の創業地・創業年といまの本社所在地を並べた図
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埼玉発祥のチェーン店にはどこがある?

まずは6社の基本データです。店舗数は各社が公表している最新の数字で、時点は会社によって異なります。

会社名(主なブランド)創業地・創業年本社店舗数と時点
しまむら(ファッションセンターしまむら、アベイル、バースデイ、シャンブル)小川町・1953年に株式会社島村呉服店として設立(それ以前から呉服の個人商店)さいたま市大宮区しまむら1,423、アベイル323、バースデイ343、シャンブル125など(2026年2月20日時点)
ヤオコー小川町・1890年(八百幸商店)川越市202店舗(2026年3月31日現在)
ハイデイ日高(日高屋)大宮市宮町(現さいたま市大宮区)・1973年(来々軒)さいたま市大宮区直営472店舗、ほかにFC6店舗(2026年2月末)
山田食品産業(山田うどん食堂)所沢市日吉町・1935年(手打ちうどん専門店)所沢市151店(直営147・FC4、2026年3月末現在)
ぎょうざの満洲所沢市緑町・1964年(満洲里)川越市104店舗(2026年4月現在)
ベルク秩父市・1959年(主婦の店秩父店)鶴ヶ島市151店舗(ベルク148・クルベ3、2026年2月末現在)

並べてみると、出発点は比企地域の小川町、県西部の所沢、秩父、そして大宮と、県内でも場所がばらばらです。一方で本社は、さいたま市・川越市・鶴ヶ島市など、都心へ向かう鉄道や幹線道路の沿線に移ってきました。

創業地と本社は別の町が多い:6社のうち、しまむら(小川町→さいたま市)、ヤオコー(小川町→川越市)、ぎょうざの満洲(所沢市→川越市)、ベルク(秩父市→鶴ヶ島市)の4社は、創業した市町村とは別の市に本社を置いています。

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しまむらとヤオコーは、なぜ同じ小川町から生まれた?

しまむらの有価証券報告書によると、1953年5月に小川町で呉服販売の個人商店を株式会社に改め、株式会社島村呉服店を設立しました。この時点で、呉服に加えて当時需要が急に伸びていた既製服や生地・仕立てにも扱いを広げています。

転機は1961年です。2号店の東松山店を開き、営業の中心を東松山へ移すと同時に「チェーン化理論」を取り入れ、仕入れを本部に集め、仕入れと販売を分ける体制にしました。1982年には、営業の地盤を埼玉・群馬から関東全域へ広げるため本社をさいたま市北区宮原町へ移し、2002年に沖縄県の名護店で47都道府県すべてへの出店を終えています。

ヤオコーは公式の沿革で、1890年に小川町で八百幸商店として創業したとしています。1957年に有限会社化し、翌1958年にセルフサービス方式を取り入れてスーパーマーケットへ転換しました。1968年の旧嵐山店から本格的なチェーン展開に入り、1986年に本部を、1998年に本店を川越市へ移しています。

同じ町の2社が、どちらも町を出て県南寄りに拠点を移しながら成長した点は共通しています。小川町そのものに特別な理由があったと示す資料は見つかりませんでしたが、地元の小さな商圏だけでは成長に限りがあり、早くから広い地域へ出ていく必要があったと考えられます。

日高屋の駅前出店と山田うどんのロードサイド店を比べた図
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日高屋はなぜ郊外ではなく「駅前」を選んだ?

ハイデイ日高の有価証券報告書によると、創業は1973年2月。現会長の神田正さんが、中華料理「来々軒」を現在のさいたま市大宮区宮町で開いたのが始まりです。神田さんは1941年、現在の埼玉県日高市の生まれです。

神田さんはプレジデントオンラインへの寄稿で、マイカー社会となり他のチェーンが郊外の道路沿いに出店していた時期に、1日の乗降客が5万人以上あるような、地価の高い駅前に店を出し始めたと振り返っています。金融機関に融資を断られたこともあったそうです。日経BPの講演レポートでは、屋台がいずれなくなるとみて、その客の受け皿を駅前に用意しようとしたことが語られています。

都内1号店は1993年3月の北区赤羽で、1994年12月には東京の繁華街1号店として新宿区歌舞伎町に出店し、以後は都心の繁華街への出店を加速させました。2002年に「日高屋」業態を始め、2026年2月末の直営店は472店舗です。大宮から赤羽、新宿と、埼玉の人が毎日通う路線をそのまま都心へさかのぼったように見えるのは興味深いところです。

山田うどんとぎょうざの満洲は、なぜ所沢から広がった?

山田食品産業の沿革によると、1935年に山田量輔さんが所沢市日吉町で手打ちうどんの専門店を開いたのが始まりです。1965年に山田うどん1号店、1966年には「現在の山田うどんの原形」とするドライブイン型のうどん店を開きました。1969年にはフランチャイズ展開を本格化し、回転看板を取り入れています。1973年にはロードサイド型のラーメン専門店も開いており、日高屋とは反対に、車で通る客を正面から狙ったチェーンだったことがわかります。

ぎょうざの満洲は公式の沿革で、1964年に所沢市緑町で「満洲里」として創業したと記しています。1977年に屋号を「ぎょうざの満洲」に変え、1995年に鶴ヶ島市、2005年に坂戸市に工場を建て、2019年に川越本社・工場が完成しました。2021年に100店舗目を出し、2026年4月現在は104店舗です。

山田うどんは1959年に製粉工場、1964年に製麺工場を所沢市上安松に建て、ぎょうざの満洲も1995年の鶴ヶ島工場以降、坂戸・川越に自前の工場を構えてきました。郊外で広い土地を確保しやすく、首都圏の店へ配送しやすい埼玉の立地は、この「工場+チェーン」の形によく合っていたのでしょう。

ベルクの出発点はどこ?

ベルクの沿革によると、1959年5月に秩父市で「株式会社主婦の店秩父店」を設立し、翌月に宮側店を出したのが始まりです。1983年に「主婦の店ベルク」、1992年に「ベルク」へ社名を変えました。1996年に本店を秩父市から寄居町へ移し、2015年には鶴ヶ島市に本社事務所を新設して本店も移しています。2026年2月末現在の店舗数は151店舗です。秩父から寄居、鶴ヶ島へと、拠点が少しずつ県の中央部へ近づいてきた流れが沿革から読み取れます。

昼夜間人口比率89.6と他県で働く・学ぶ人102万437人を示した図

なぜ埼玉から全国・首都圏へ広がるチェーンが多いの?

6社の歩みから見えるのは、「埼玉で育てた仕組みを、そのまま隣へ広げる」というパターンです。しまむらは本社移転の理由そのものを「関東全域へ」と記し、日高屋は大宮から赤羽・新宿へ、山田うどんやヤオコーは周辺の県へと店を増やしてきました。

背景として数字で確かめられるのが、埼玉の人の動きです。埼玉県の統計資料によると、2020年の国勢調査で埼玉県の昼夜間人口比率は89.6と全国で最も低く、他県で働く・学ぶ人は102万437人で全国2位でした。昼は県外で過ごし夜は埼玉に帰る人が多い土地です。駅前で「仕事帰りの一杯」を受け止める日高屋、休日の家族客を待つ郊外のロードサイド店やスーパーは、こうした暮らし方に合っていたと考えられます。

また、埼玉は東京をはじめ多くの都県と接しており、県内に拠点を置いたまま周辺へ店を広げやすい位置にあります。地価の面でも、都心より出店や工場・物流拠点のコストを抑えやすかったはずです。ただし、これらは立地からの推測で、各社が「埼玉だから成功した」と説明している資料は今回確認できませんでした。創業者たちがそれぞれの町で工夫を重ねた結果として、埼玉発のチェーンが並んでいる、と見るのが実態に近いでしょう。

参考資料

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