3行でわかる行田足袋
- 行田の足袋づくりは約300年前に始まった。周辺が木綿と藍染めの織物の産地で材料が身近にあり、中山道など街道沿いの立地にも恵まれていた
- 明治にミシンと電気の動力を取り入れて工場化し、昭和13年(1938年)には年8,400万足余り、全国の約8割を生産する日本一の産地になった
- いまも足袋蔵が約80棟残り、2017年に日本遺産に。小説・ドラマ『陸王』の舞台にもなり、再び注目を集めた
行田が足袋で日本一になったのは、江戸時代から木綿と藍染めの産地だった土地で足袋づくりが根づき、明治以降にミシンと電気の力で工場化を進めたからです。最盛期の昭和13年(1938年)には、日本の足袋の約8割を行田がつくっていました。
行田市の旧市街を歩くと、土蔵や石蔵、モルタル塗りの蔵が路地のあちこちに現れます。これは足袋を保管するために建てられた「足袋蔵」です。この記事では、行田の足袋づくりの始まりから、日本一の産地になるまで、そしてドラマ『陸王』で再び注目されるまでの約300年を、行田市や国税庁、財務省の資料をもとにたどります。

行田の足袋づくりはいつ始まった?
行田市の日本遺産のストーリーは、行田足袋の始まりを「約300年前」としています。行田市郷土博物館が所蔵する享保年間(1716〜1735年)ごろの「行田町絵図」には、すでに3軒の足袋屋が描かれています。天保年間(1830〜1844年)ごろの絵図では足袋屋は27軒に増え、町のなかで最も多い業種になっていました。
行田は忍藩の城下町で、日本遺産のストーリーは、足袋は武士の妻たちの内職だったと伝えています。
行田で足袋づくりが根づいた背景には、土地の条件がありました。利根川と荒川に挟まれたこの一帯は、木綿の栽培と、藍で染めた織物「青縞(あおじま)」づくりが盛んな地域でした。足袋の材料が身近で手に入ったのです。文化庁の文化遺産オンラインは、近郊の農村であることと、中山道などの街道沿いの立地が産地として発展した大きな要因だと説明しています。行田の足袋は、江戸時代の中ごろにはすでに商品として出回っていたとみられています。
どうやって日本一の産地になった?
行田の足袋が大きく飛躍したのは、明治時代です。財務省の広報誌『ファイナンス』によると、明治19年(1886年)に橋本喜助商店が足袋工場を設け、明治23年(1890年)ごろにはミシンを導入しました。これをきっかけに、行田の町にミシンが広まっていきます。明治18年に年間50万足だった生産は、約10年で4倍ほどに増えました。
近代化はさらに進みます。明治40年(1907年)には足袋の同業組合が設立され、明治43年(1910年)には行田電灯が設立されました。国税庁によると、その大きな目的は足袋づくりの動力を電気にすることでした。文化遺産オンラインによると、明治中期からミシンや裁断機の導入が進み、行田は手仕事の町から工場の町へと姿を変えていきます。
そして昭和13年(1938年)、行田の足袋は頂点を迎えます。国税庁によると、この年の生産量は年間最高の8,400万足余り。全国シェアは8割を超えていました。日本中の人が履く足袋の、ほとんどが行田製だったことになります。

なぜ「足袋蔵」がたくさんあるの?
足袋の生産が増えるにつれ、出来上がった足袋や原料を保管する場所が必要になりました。そうして建てられたのが「足袋蔵」です。日本遺産のストーリーによると、明治時代の後半から足袋蔵が次々と建てられ、土蔵、石蔵、モルタル蔵など、さまざまな素材の蔵が生まれました。
財務省の『ファイナンス』などによると、行田にはいまも約80棟の足袋蔵が残っています。平成29年(2017年)4月28日には「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」が、埼玉県で初めての日本遺産に認定されました。かつての足袋商店の蔵を生かした「足袋蔵まちづくりミュージアム」など、蔵を活用した施設もあります。
足袋の町は、いまも国のお墨付き:行田の足袋は、文化財としても工芸品としても国に認められています。令和元年(2019年)11月20日には、経済産業大臣が「行田足袋」を伝統的工芸品に指定しました。令和2年(2020年)3月16日には、足袋の製造用具と関係資料あわせて5,484点が、国の重要有形民俗文化財に指定されています。
足袋の町はその後どうなった?
やがて日本人の暮らしは大きく変わります。洋装が広がり、ナイロンの靴下が普及すると、足袋の需要は大きく落ち込みました。ただ、財務省の『ファイナンス』によると、行田では戦前から衣服製造などへの多角化が進められており、それがいまの産業につながっています。ぶぎんレポートによると、いま足袋をつくる会社は市内に数社が残るのみです。
それでも行田市は、行田をいまも日本一の足袋の産地としています。行田足袋の組合には、イサミコーポレーション、きねや足袋など6社が名を連ね、伝統の足袋づくりを受け継いでいます。
『陸王』で行田はどう変わった?
2016年7月、作家・池井戸潤さんの小説『陸王』(集英社)が刊行されました。舞台は、埼玉県行田市で100年続く老舗足袋業者「こはぜ屋」。足袋づくりの技術を生かして、ランニングシューズの開発に挑む物語です。池井戸さんは取材先として、行田の「きねや足袋」を挙げています。
2017年10月15日には、役所広司さんがこはぜ屋の四代目社長を演じ、TBSの日曜劇場としてドラマ化されました。最終回(12月24日)の視聴率は20.5%に達しました。
ドラマの効果は数字にも表れています。埼玉県の推計では、2017年10〜12月の3か月で埼玉県への経済波及効果は約10億2千万円。行田市の観光案内所の来客は約78%増え、行田市を訪れた観光客は約31万4,300人増えたと見込まれています。ロケ地めぐりの観光客が増え、関連のまんじゅうやせんべいは出荷が追いつかないほどだったといいます。

武士の妻たちの内職から始まり、ミシンと電気で日本一になり、洋装化で衰えながらも、蔵と技を残してきた行田の足袋。約300年の歩みは、町を歩けば足袋蔵という形で目に見えます。行田を訪れたら、銘菓の十万石まんじゅうを片手に、足袋蔵の路地を歩いてみてはいかがでしょうか。
参考資料
- 日本遺産「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」(行田市)
- 行田市日本遺産ポータル(行田おもてなし観光局)
- 行田の足袋製造用具及び関係資料(文化遺産オンライン)
- 『ファイナンス』2025年4月号 行田(財務省)
- 足袋の町・行田(国税庁 租税史料館)
- 行田市の紹介(埼玉県)
- 行田足袋が伝統的工芸品に指定(行田市)
- 行田足袋組合(行田市)
- ぶぎんレポート 2021年6月号(ぶぎん地域経済研究所)
- 足袋蔵のまち行田(日立『はいたっく』2017年8月号)
- 池井戸潤さんインタビュー(文春オンライン、2016年7月)
- ドラマ『陸王』放送開始(映画.com、2017年10月)
- 視聴率(ビデオリサーチ)
- ドラマ『陸王』の経済波及効果(埼玉県)


