ひとことで言うと:読みはどちらも「かすかべ」で、江戸の宿場の字が粕壁、今の市名が春日部です。切り替わったのは1944年。粕壁町と内牧村が合併して春日部町になったとき、武士の春日部氏にちなんで字が選ばれたようです。ただし「地名そのものが春日部氏から来た」という説明は、市の郷土資料館が成り立たないとしていて、語源は今も謎のままです。
春日部市に住むと、ふしぎなものに気がつきます。市名は「春日部」なのに、駅の東側の住所は「粕壁東」。書き間違いではなく、どちらも同じ「かすかべ」です。
調べると、この町の字は何度も入れ替わっています。しかも「春日部氏が由来」という定番の答えには、地元の郷土資料館がはっきり異を唱えていました。クレヨンしんちゃんの舞台として全国に知られた地名の、ややこしくて面白い話です。

春日部と粕壁、今はどう使い分けている?
| 春日部 | 市全体の名前、駅名 |
|---|---|
| 粕壁 | 旧宿場の地名(粕壁・粕壁東) |
市の教育委員会のブログ「ほごログ」の説明では、春日部は市域全体を指す名前、粕壁は江戸時代の宿場町だった区域の地名です。旧町の名前が地区名として残ったと考えると、すっきりします。
字はいつ、どう変わってきた?
ほごログによれば、「かすかべ」が確かな記録に出てくるのは1336年です。後醍醐天皇が武士の春日部重行に「下総国春日部郷」の地頭職を認めた綸旨で、ここでは今と同じ「春日部」の字でした。当時の春日部郷は、今の浜川戸あたりを中心とした集落と考えられています。
ところが戦国時代に入ると、1573年の文書には「糟ケ辺」、1589年の北条氏房の朱印状の写しには「御領所糟壁」と、違う字が現れます。江戸時代には日光道中の宿場町として「糟壁」「粕壁」と書かれ、17世紀後半からは粕壁が増えていきました。それでも「春日部」「春日辺」と書く例もあり、一つに決まっていたわけではありません。音が先にあって、字は後からあてられた。そう考えると揺れの理由が見えてきます。
「粕」の字については、宿場の土蔵が荒壁だったから、造り酒屋の酒粕にちなむ、といった説があります。ただ、資料館は確かなことはわからないとしていて、字の意味とは関係がないかもしれないと述べています。
なぜ1944年に「春日部」に戻した?
明治の町村制で「粕壁町」になった町は、昭和19年(1944年)に隣の内牧村と合併します。このとき新しい町名に選ばれたのが「春日部町」でした。ほごログによると、南朝方の武士・春日部氏の名にちなんだ選択だったようです。合併をきっかけに、新しい町の名を歴史のある字で書くことになったわけです。
鉄道の駅名は少し遅れました。東武の「粕壁駅」は1899年に開業し、春日部市観光協会の年表によると、春日部駅に改称したのは1949年です。1954年には1町4村の合併で春日部市が生まれ、2005年に庄和町と合併して今の市域になりました。
注意:よくある説明との違い 観光案内や辞典には「春日部氏が地名の由来」とよく書かれています。市の観光協会のページも「語源といわれています」という書き方です。しかし資料館の見解は別で、次の節のとおり、字を選ぶ理由になったことと、語源であることは分けて考える必要があります。
地名の由来は?3つの説と資料館の見解
市の郷土資料館の職員がほごログの「かすかべ地名のはなし(1)」で整理している説は3つです。
御名代部(みなしろべ)説
- 安閑天皇の皇后・春日山田皇女らに仕えた人々の部の名に由来
- 字の説明はつくが、この地がそれに当たるという証拠はない
地形説
- カス(水に浸る土地)、スカ(川沿いの微高地)、カワベ(川のほとり)の組み合わせ
- 近くの須賀・川辺の地名とも合うが、なぜ春日部と書くかは説明できない
春日部氏説
- 平安時代末ごろから住んだ武士の名に由来
- 資料館は成り立たないとする
春日部氏説が退けられるのは、順序が逆だからです。資料館の説明では、春日部氏は紀氏の流れをくむ一族で、大井氏・品川氏と同族。一時は大井を名乗り、のちに「春日部」に改めたと考えられます。つまり、すでにあった地名を一族が名乗ったことになるのです。分かりやすさや、春日部氏を英雄視する見方から今も語られ続けている、とも指摘しています。
結局、語源は定説なし。1944年の町名の字は春日部氏にちなんだとみられるが、地名の起こりは春日部氏ではない。この二段構えで覚えておくと、どちらの説明を読んでも混乱しません。
春日部重行とは誰?なぜ今も語られる?
春日部氏の中でも名高いのが重行です。1336年の綸旨で地頭職を得た人物で、新田義貞に従い南朝方として戦い、同じ年に京都で敗れて自害したと伝わります(Wikipedia「春日部重行」、典拠は『武蔵国郡村誌』ほか)。市では「春日部の祖」として公祭が開かれてきました。
なお、1944年という戦時の改称に、南朝の忠臣をたたえる当時の空気が影響したかどうかは、この記事で確かめた資料には書かれていません。そう読みたくなりますが、ここでは推測にとどめます。
現地で「かすかべ」の歴史を見られる場所は?
まず知っておきたいのが、歴史を学ぶ拠点の春日部市郷土資料館が休館中なことです。市の案内によると、教育センターの改修で2026年10月1日から2028年3月(予定)まで閉まっています。問い合わせは受けていますが、工事の状況で対応できない期間があるとのことです(048-763-2455)。
それでも町歩きは楽しめます。春日部駅の東側に延びる旧日光街道は、江戸の日本橋から4番目の宿場でした。市の資料によれば、幕末の粕壁宿は773軒・約3,700人という規模です。沿道には市が建てた案内板があり、配置図とガイドを市のページからPDFで見られます。
最勝院の墳丘については、号外NET春日部市(2021年)が本堂左の鳥居の先にある小さな丘と紹介しており、あくまで伝承として見てください。隣町の宿場と歩き比べたい人には杉戸宿の歩き方、町の伝統工芸に興味がある人には春日部の押絵羽子板もどうぞ。
よくある質問
「粕壁」はなんと読む? 「かすかべ」です。粕壁東は「かすかべひがし」です。
春日部は埼玉の難読地名? 今は有名ですが、埼玉には読みにくい地名が多くあります。力試しは埼玉の難読地名30選で。
「春日」とは関係ある? 奈良の春日大社との直接の関係を示す話は、この記事で確かめた市の資料にはありません。御名代部説で春日山田皇女の名が出てくるのが、字のつながりとして語られる点です。
出典(確認日:2026年11月4日)
- 春日部市教育委員会ブログ ほごログ「かすかべ地名のはなし(1)春日部の由来」2024年2月13日、「かすかべ地名の話(2)粕壁」2024年3月2日
- 春日部市「春日部のあゆみ」「郷土資料館は休館します」「春日部の歴史Q&A」
- 春日部市観光協会「春日部の歴史」
- コトバンク「春日部」、Wikipedia「春日部重行」
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