川越の蔵造りの町並みを歩いていると、瓦屋根の向こうに木造の塔がすっと立っています。「時の鐘」。いまも1日4回、町に鐘の音を響かせています。ただ、この鐘楼が今の姿になったのは明治のこと。江戸時代から何度も焼け、そのたびに鐘を鋳直し、ときには近くのお寺から鐘を借りてまで、川越の人は時を告げ続けてきました。
この記事の結論:時の鐘は、寛永4〜11年(1627〜1634)に川越城主・酒井忠勝がつくったと伝わる時報の鐘です。いまの鐘楼は、明治26年(1893)の川越大火で焼けた翌年に再建されたもので、高さは約16m。鐘は毎日 6時・12時・15時・18時の4回鳴ります(自動の打鳴機)。見学は外からで、料金はかかりません。
400年近く時を告げてこられたのは、焼けるたびに建て直し、鐘が使えなければお寺の鐘を借り、撞き手が自ら名乗り出て、のちには自動化して——と、町の人が時報を手放さなかったからです。

時の鐘はいつ、誰がつくった?
川越市の資料によると、時の鐘は寛永4年から11年(1627〜1634)にかけて、酒井忠勝が川越城主だった時代に、多賀町(いまの幸町)の常蓮寺の境内に建てたと伝えられています。酒井忠勝はのちに幕府の大老も務めた重臣で、勤勉で時間に厳しい人物だったといわれます。城下町に正確な時刻を知らせることは、武士の勤めにも町人の商いにも欠かせないことでした。
江戸時代の鐘は「何回」鳴った?
いまは決まった時刻に鳴る鐘ですが、江戸時代の鳴らし方はまったく違いました。当時の時刻は、日の出と日の入りを基準に昼と夜をそれぞれ6つに分ける「不定時法」。一刻(いっとき)の長さは約2時間で、季節によって伸び縮みしました。
鐘は時の数だけ撞くのが決まりで、たとえば「九つ」なら9回。さらに一刻の中間にも3回撞いていました。火事のときには「早鐘」を打ち、火元が遠ければ1〜3回打って1回休み、近ければ休まずに連打したそうです。鐘の音は、時計であると同時に火災報知器でもありました。明治6年(1873)に今と同じ定時法に改められています。
焼けては建て直す——鐘は何度も替わった
時の鐘の歴史は、火事との戦いの歴史でもあります。川越市の資料をたどると、鐘楼が焼け、鐘が替わった記録がいくつも残っています。
| 年 | できごと | その間の時報は? |
|---|---|---|
| 承応2年(1653) | 鐘が壊れていたため、城主・松平信綱のとき新たに鋳造。ただし「音が低い」とされた | — |
| 安永3年(1774) | 大火で焼失。2年後に再建 | 長喜院で時報。再建後も行伝寺の鐘を借りた |
| 嘉永2年(1849) | 新しい鐘を鋳造するが、音が低い | 再び行伝寺の鐘を借りた |
| 安政3年(1856) | 大火で焼失。翌年再建 | 大蓮寺で時報。再建後は広済寺の鐘を借りた |
| 明治26年(1893) | 3月17日の川越大火で焼失。町の約3分の1、1,302戸が焼けた | 翌明治27年(1894)に再建。これが今の鐘楼で、鐘は矢沢四郎右衛門の鋳造 |
面白いのは、鐘を新しく鋳ても「音が低い」と言われ、近くのお寺の鐘を借りて済ませた時期があることです。城下の人々にとっては、遠くまでよく通る音であることが何より大事だったのでしょう。
明治の大火は、川越の町並みそのものを変えました。焼け残った蔵造りの家が火に強いことがわかり、商人たちは競って蔵造りで店を建て直します。時の鐘の再建もこの復興の中で行われました。費用は明治天皇からの特賜金をはじめ、川越出身の実業家などからの寄付を募ってまかない、大火の翌年に完成しています。いま町に響いているのは、このとき鋳造された明治の鐘の音です。「蔵の町と時の鐘」という川越らしい風景は、明治26年の大火のあとにそろってできたものなのです。蔵造りの町並みが残った理由は川越はなぜ「小江戸」?で詳しく紹介しています。
時計が普及しても、なぜ鳴らし続けた?
大正時代になると、時計の普及とラジオの時報が始まったことで、時の鐘は大正14年(1925)ごろに時報としての役目を終えます。それより前、大正12年の関東大震災のあとには廃止を求める声もありましたが、岩内太郎という人が撞き手を買って出て、一日も欠かさず撞き続けたといいます。
昭和10年代の後半には戦時下の警防上の理由で撞けなくなり、戦後もしばらくは時の記念日など特別な日だけ鳴らされていました。転機は昭和50年(1975)。川越市文化財保護協会から自動の打鳴機が贈られ、毎日決まった時刻に鳴るようになりました。平成8年(1996)には、環境庁の「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。
平成27〜28年度には耐震工事が行われ、あわせて明治の再建当時の姿に近づける復原も行われました。4本の主柱の根元を、コンクリートの基礎から、掘り出した元の礎石の上に立てる形に戻しています。
時の鐘の大きさは?
| 鐘楼のつくり | 木造3層(3重4階建て) |
|---|---|
| 高さ | 約16m(礎石から桁の上まで16.127m、地面から頂部まで17.6m) |
| 鐘 | 直径82cm、高さ122cm、重さ約700kg |
| 文化財 | 昭和33年(1958)に川越市指定の史跡、昭和59年(1984)に有形文化財(建造物)へ変更。一帯は平成11年(1999)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定 |
鐘の音を聞くには?見学のポイント
| 住所 | 川越市幸町15-7 |
|---|---|
| 電車 | 西武新宿線「本川越」駅から徒歩約15分 |
| 料金 | 無料(外からの見学) |
よくある質問
時の鐘は誰が鳴らしているの?
昭和50年に贈られた自動の打鳴機で鳴らしています。かつては撞き手が毎日撞いていました。
鐘楼の中に入れる?
内部は通常公開されておらず、見学は外からになります。
今の鐘楼はいつの建物?
明治27年(1894)の再建です。前年の明治26年3月の川越大火で焼けたあと、棟梁・関根松五郎のもとで建て直されました。
参考:川越市「時の鐘」パンフレット/埼玉県 景観資源データベース「時の鐘」/コトバンク「酒井忠勝」/財務省「ファイナンス」2025年8月号
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