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深谷駅はなぜ東京駅にそっくり?|レンガと渋沢栄一の関係

ドーム屋根の駅舎を図形で描いたイラスト 歴史・文化・雑学

3行でわかる深谷駅と東京駅の関係

  • 深谷駅は1996年に東京駅丸の内駅舎を模して建て替えられた駅舎です
  • 理由は、渋沢栄一らが深谷に設立した日本煉瓦製造の煉瓦が東京駅に使われたから
  • 工場跡の旧煉瓦製造施設は国の重要文化財で、日本煉瓦史料館は土日に公開

深谷駅が東京駅にそっくりなのは、単なるデザインのまねではありません。深谷にあった日本煉瓦製造の工場で焼かれた煉瓦が東京駅丸の内駅舎の躯体に使われており、その縁を形にしたのが今の深谷駅舎です。埼玉県の資料も、深谷駅は「丸ノ内本屋を模して造られた」と説明しています。

この記事では、日本煉瓦製造がなぜ深谷につくられたのか、渋沢栄一がどう関わったのか、東京駅にどれだけの煉瓦が使われたのか、そして今も残る工場跡の見どころまで、公的な資料をもとにたどります。

深谷の工場から煉瓦、東京駅、深谷駅へとつながる縁を示した流れ図
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深谷駅はなぜ東京駅にそっくりなの?

JR高崎線の深谷駅の現在の駅舎は、1996年(平成8年)に完成しました。埼玉県がまとめた「渋沢栄一ゆかりの地」の資料では、日本煉瓦製造の煉瓦が東京駅丸ノ内本屋(丸の内駅舎)に使われたことから、丸ノ内本屋を模して造られたと紹介されています。

報道によると、それ以前の深谷駅は1934年(昭和9年)築の木造平屋で、駅舎は北口にしかありませんでした。南側に住宅が増えたことから、線路をまたいで南北どちらからも使える橋上駅舎に建て替えられ、その際に東京駅をモチーフにした外観が採用されたというわけです。

ただし、よく見ると本物の煉瓦ではありません。同じ報道では、建築基準法の制約から実際の煉瓦は使えず、煉瓦に見える部分は「レンガ風タイル」だと説明されています。それでもドームや窓枠、尖塔などが再現され、遠目には東京駅を縮めたような姿に見えます。今では上野東京ラインで東京駅と乗り換えなしで結ばれているのも、ちょっとした巡り合わせです。

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日本煉瓦製造はいつ、誰がつくったの?

文化庁の文化遺産オンラインによると、日本煉瓦製造会社は「都市整備のために大量に必要とされた煉瓦製造を目的として、明治20年に渋沢栄一らによって設立された」会社です。明治20年は1887年にあたります。深谷市教育委員会の「見学のしおり」では、この年に渋沢栄一ほか4名の連名で東京府庁へ「会社設立願」が出され、認可されたと説明されています。

背景にあったのは、明治政府が進めた東京の官庁街整備の計画です。埼玉県の資料は、この計画を受けて明治21年(1888年)に「機械式煉瓦工場」として操業を始めたと記しています。見学のしおりにも、煉瓦は官庁集中計画のために臨時建築局が買い上げる条件で生産され、明治21年10月4日に臨時建築局から煉瓦22万本の注文を受けたとあります。

政府は、煉瓦を臨時建築局が買い上げることなどを条件に民営工場とする方針を決め、有力者に協力を働きかけました。その一人が渋沢栄一で、栄一は会社の設立と運営に深く関わります。工場の場所となったのは、栄一の実家に近い上敷免(じょうしきめん、現在の深谷市)です。栄一自身の生い立ちや生家については渋沢栄一の生涯と深谷|生家・記念館の巡り方で詳しく紹介しています。

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なぜ工場が深谷につくられたの?

深谷市教育委員会の見学のしおりは、深谷が選ばれた理由として次の点を挙げています。良質な粘土が採れたこと、地元住民の熱心な誘致活動があったこと、原料の土の採掘を無償としたこと、そして渋沢栄一の強い勧めがあったことです。埼玉県の資料でも、栄一が実家近くの上敷免を工場の設立地として推薦したと書かれています。

もう一つの鍵が運搬です。焼き上げた煉瓦は、小山川から利根川、江戸川、隅田川と舟で運ばれ、東京方面へ送られていました。重くてかさばる煉瓦を大量に運ぶには、川の道が欠かせなかったと考えられます。

深谷の工場から小山川・利根川・江戸川・隅田川を経て東京へ煉瓦を運んだ流れ図

明治28年(1895年)には、深谷駅から工場までの約4キロメートルに専用鉄道が敷かれます。見学のしおりによると、この専用鉄道も渋沢の発案によるもので、しおりは「日本初の専用鉄道」と紹介しています。専用鉄道の跡には、国の重要文化財に指定された備前渠(びぜんきょ)鉄橋などが今も残っています。

深谷が選ばれた理由:良質な粘土、地元の誘致と原土の無償採掘、渋沢栄一の推薦。焼いた煉瓦は川の舟運で東京へ送られ、のちに深谷駅と工場を結ぶ専用鉄道が敷かれました。

東京駅には深谷の煉瓦がどれくらい使われたの?

東京駅丸の内駅舎は1914年(大正3年)に開業しました。設計は辰野金吾で、現在は国の重要文化財です。2007年から2012年にかけての保存・復原工事で、開業当時の姿に戻されています。

深谷の煉瓦がどこに使われたかについて、文化遺産オンラインに掲載されている「日本煉瓦製造株式会社製東京駅丸の内駅舎 躯体れんが」(舞鶴市立赤れんが博物館所蔵)の解説が具体的です。それによると、全長334.5メートルの駅舎は当時最新の「鉄骨れんが造り」で、躯体には日本煉瓦製造による「上敷免製」の刻印入り煉瓦767万個、表面には各地から調達された化粧煉瓦、屋根には宮城県雄勝産の天然スレート32万枚が使われました。

ここで押さえておきたいのは、深谷の煉瓦は主に建物の骨格にあたる「躯体」に使われ、外から見える表面の化粧煉瓦は各地から集められた、という点です。「東京駅の赤い煉瓦がすべて深谷産」というわけではありません。なお、使われた数は資料によって表現が異なり、752万個とする報道もあります。この記事では文化遺産オンラインの「767万個」を採っています。

見学のしおりによると、工場の契約書類には、のちに東京駅を設計する辰野金吾の名前も見られるそうです。ただし同じしおりは、その書類に東京駅に使われたことまでは明記されていない、とも断っています。

東京駅のほかにはどこに使われたの?

文化遺産オンラインは、この工場の煉瓦が「東京駅をはじめとする東京の主要建築」に使われたと説明しています。埼玉県の資料では、東京駅丸ノ内本屋のほか旧東宮御所(現在の迎賓館赤坂離宮)が挙げられています。

深谷市教育委員会が発行する「ホフマン通信」では、東京駅、迎賓館、旧司法省(現在の法務省旧本館)などに煉瓦を供給したと紹介されています。また、深谷市が輪窯の保存のために募ったクラウドファンディングのページでは、司法省、日本銀行、旧東京裁判所、旧東京商業会議所、赤坂離宮、旧警視庁、旧三菱第2号館、東京大学などが挙げられ、「東京駅をはじめ明治から大正にかけて多くの近代建築物が深谷製の煉瓦を使って建設されました」と書かれています。

地元に目を向けると、旧中山道沿いには日本煉瓦製造の煉瓦を使った建物が点在しています。埼玉県の資料では、滝澤酒造、藤橋藤三郎商店、丸山酒造、伊勢屋だんごが紹介されています。駅から工場跡へ向かう前後に、まちなかの煉瓦建築を探して歩くのも楽しみ方の一つです。

ホフマン輪窯6号窯の大きさ、部屋数、焼き方を示した図

ホフマン輪窯とはどんな窯?重要文化財になったのはいつ?

工場跡に残る施設のうち、象徴的なのが「ホフマン輪窯六号窯」です。見学のしおりによると、6号窯は明治40年(1907年)に完成しました。平面は楕円形で、長さ56.5メートル、幅20メートル、高さ3.3メートル。内部は18の部屋に分かれ、1部屋に煉瓦の素地を約1万8千個積み上げることができました。1部屋をおよそ1昼夜かけて約1,000度で焼き、窯の中で火を順に移していくことで連続して焼成できる仕組みです。生産能力は月に約65万個でした。

6号窯は、昭和43年(1968年)に操業を止めるまで約60年間使われました。そして1997年(平成9年)5月29日、ホフマン輪窯六号窯、旧事務所、旧変電室、備前渠鉄橋が「日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設」として国の重要文化財に指定されています。文化遺産オンラインは、日本の近代化の基礎となった施設として貴重だと位置づけています。

会社そのものは、平成18年(2006年)に約120年の歴史に幕を下ろしました。深谷市は輪窯の保存修理に向けた調査工事を平成27〜28年度に行い、現在は保存修理工事を進めています。

旧煉瓦製造施設は今、見学できる?

埼玉県の資料によると、旧事務所は「日本煉瓦史料館」として文書や写真などを展示しています。開館は土曜・日曜(年末年始を除く)の9時から16時で、入館は15時30分までです。見学のしおりでは、史料館(旧事務所)と旧変電室が見学できる施設として案内されています。

一方、ホフマン輪窯6号窯は保存修理工事中のため、現在は見学できません。外観や窯の内部を目当てにする場合は、出かける前に深谷市の最新情報を確認しておくと安心です。

深谷駅で東京駅そっくりの駅舎を眺め、専用鉄道の跡をたどって工場跡へ向かい、史料館で刻印入りの煉瓦を確かめる。そんな順番で回ると、駅舎がなぜあの姿をしているのかが自然と腑に落ちます。同じ深谷市内のふかや花園プレミアム・アウトレットと組み合わせて一日の予定を立てる人もいるでしょう。

日本煉瓦製造と深谷駅 年表
  • 1887年
    渋沢栄一らが日本煉瓦製造会社を設立
  • 1888年
    機械式煉瓦工場として操業開始。臨時建築局から22万本を受注
  • 1895年
    深谷駅と工場を結ぶ専用鉄道が敷かれる
  • 1907年
    ホフマン輪窯6号窯が完成
  • 1914年
    東京駅丸の内駅舎が開業
  • 1968年
    6号窯が操業停止
  • 1996年
    東京駅を模した深谷駅舎が完成
  • 1997年
    旧煉瓦製造施設が国の重要文化財に指定
  • 2006年
    日本煉瓦製造が約120年の歴史を終える
  • 2012年
    東京駅丸の内駅舎の保存・復原工事が完了

煉瓦という一つの素材から、深谷と東京駅、そして渋沢栄一の仕事がつながって見えてきます。ものづくりの歴史が町の顔になった例としては、川口の鋳物や行田の足袋の物語にも通じるものがあります。

参考資料

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