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ふじみ野の火工廠とは|跡地と残る記憶をたどる

ふじみ野の火工廠とは まちづくり・交通

ふじみ野市の上野台や福岡のあたりには、戦時中、旧陸軍の火薬工場がありました。地元では「火工廠(かこうしょう)」と呼ばれてきた施設です。いまは団地や学校、市役所が建つ跡地に、どんな工場があったのかをまとめました。

火工廠(東京第一陸軍造兵廠 川越製造所)の概要
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火工廠とは

正式名称は時期によって変わり、1942年(昭和17年)8月からは「東京第一陸軍造兵廠 川越製造所」です。市の資料館の資料によると、名称は次のように移り変わりました。

時期名称
昭和11年9月〜陸軍造兵廠東京工廠 福岡派出所
昭和12年11月〜同 火具製造所 福岡工場
昭和15年4月〜東京陸軍第一造兵廠 第三製造所 福岡工場
昭和17年8月〜東京第一陸軍造兵廠 川越製造所

1936年(昭和11年)11月に地鎮祭、1937年(昭和12年)12月25日の開場式で操業を始めました。終戦後の1945年(昭和20年)11月、陸軍省の解体とともに廃止されています。

どんな工場だったか

敷地は旧福岡村、いまの上野台一〜三丁目と福岡一〜二丁目にあたり、広さは約55万㎡(東京ドーム約11個分)。建物は最大で約700棟ありました。

造っていたのは火薬・起爆剤・雷管・信管・照明弾・銃弾などで、戦争末期には風船爆弾の部品も手がけました。働いていたのは約5,000人で、1944年(昭和19年)8月からは学徒1,500人が動員されています。

付属施設の「大井倉庫」(約25,000㎡)は、いまの文京学院大学から山下ゴムのあたりにありました。

跡地はいまどうなっている?

市の資料館の資料では、跡地にいま建っているものとして次の施設が挙げられています。

  • 上野台団地
  • 上野台小学校
  • 福岡中学校
  • ふじみ野市役所
  • イオンタウンふじみ野
  • 複数の工場

発掘調査では、防空壕5基や水溜11基などが見つかっています。

学生がつくったガイドブック『記憶の地層』

文京学院大学「まちづくり研究センターふじみ野」の火工廠プロジェクトで、学生がガイドブック『記憶の地層』を制作し、2026年5月に完成しました。大学の発表によると、2026年9月に開館したふじみ野市立博物館などの社会教育施設で活用されています。配布の方法は発表に書かれていません。

出典

2026年10月1日時点の情報です。

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