三芳町上富と所沢市にまたがる「三富新田(さんとめしんでん)」は、元禄9年(1696年)に生まれた畑作の村です。見どころは建物ではなく、道から奥へ「屋敷→畑→雑木林」と細長く続く区画の並びそのもの。雑木林の落ち葉で堆肥を作り畑に入れる農法は300年以上受け継がれ、2023年に世界農業遺産に認定されました。
見学の起点には、無料で入れる茅葺きの古民家「旧島田家住宅」(9:00〜16:00、月曜・祝日休館)が便利です。秋はさつまいもの直売、冬は落ち葉掃きの季節と、行く時期で見える景色が変わります。

なぜ細長い区画なの?「屋敷・畑・雑木林」の役割
三富新田の1軒分の土地は約5町歩(約5ha)。上富では、幅6間の道に面して間口40間(約72m)、奥行375間(約675m)という、横に短く奥に長い短冊形で割り当てられました(埼玉県の説明)。この形には、水が乏しく栄養の少ない台地で暮らすための工夫が詰まっています。三芳町の解説から、手前から順に見ていきます。
いちばん手前が屋敷地。家の周りには竹・カシ・ケヤキが植えられました。竹は根をよく張って地震に強く、農具や竹細工の材料にもなる。カシは農具の柄になり、実は飢饉のときの非常食。ケヤキは建材として大切に育て、家に必要なとき以外は切らなかったといいます。こうした屋敷林が、土地の保水力も高めたと考えられています。
真ん中が畑。1日に耕す目安として5畝ずつに区切られていました。乾いた畑の土は春と冬の季節風で舞い上がるため、畑の境にはウツギを植えて風を防ぎ、のちに茶の木に植え替えて、春先の大切な作物「畦畔茶(けいはんちゃ)」になりました。
いちばん奥が平地林(雑木林)。薪や炭にしやすく、葉が堆肥として発酵しやすいコナラ・クヌギ・エゴが育てられました。冬に落ち葉を掃き集め、1年以上かけて堆肥にして畑に入れる。「一反の畑に一反のヤマ」と言われたほど、林は畑に欠かせないものでした。
道沿いを歩くと、屋敷林に囲まれた家が同じ間隔で並び、その奥に畑、さらに奥に林が見えます。この並びが300年以上前の区画のまま残っているのが、三富新田のいちばんの見どころです。水の乏しい台地なので、開発のときには三富全体で11か所の深井戸(約22m)を掘り、数軒で共同利用したと県は説明しています。
なぜ今まで残ったのか。昭和3年、短冊形の耕地が街道沿いの村の形のまま残り景観がとてもよいことから、埼玉県の史跡「三富開拓地割遺跡」に指定されました。昭和37年には、範囲が広すぎて現状変更を厳しく制限するのは無理として、許可制の史跡から届出制の旧跡に変わり、緩やかな規制で地割の景観が守られてきました。
どうしてできた村?柳沢吉保と「富」の由来
このあたりは、周辺の村々が肥料や燃料にする草を取る入会の秣場(まぐさば)でした。元禄7年(1694年)、幕府の評定所の判断で川越藩の領地と認められると、藩主の柳沢吉保が開発を進め、家老の曽根権太夫らが実際の開発にあたりました。2年後の元禄9年(1696年)の検地で、上富91屋敷・中富40屋敷・下富49屋敷、合わせて180屋敷の村ができあがります。「富」の字は、豊かな村になるようにとの孔子の教えに基づくと町は紹介しています。上富は今の三芳町、中富・下富は所沢市にあたります。
開拓当初はアワやヒエなどの雑穀くらいしか採れなかったといいます。寛延4年(1751年)にサツマイモがもたらされ、文化年間(1804〜1817年)には生産が広がって「富(とめ)のイモ」として有名になりました(県の解説)。旧島田家住宅について町は、三富の開拓がさつまいもの導入で豊かになったことを証明する大型の家屋だと説明しています。
世界農業遺産「武蔵野の落ち葉堆肥農法」とは
2023年7月5日、国連食糧農業機関(FAO)が「武蔵野の落ち葉堆肥農法」を世界農業遺産に認定しました。関東地方で初めての認定で、対象は川越市・所沢市・ふじみ野市・三芳町の3市1町。それより前の2017年3月には日本農業遺産に認定されています。平地林の落ち葉で堆肥を作り、やせた台地の土を畑に変えてきた循環の仕組みです。手順はシンプルで、冬に雑木林の落ち葉を掃き集め、積んで1年以上かけて堆肥にし、それを畑に入れて土を作ります(三芳町の解説)。この農法は今も続いていて、いも街道の町のパンフレットでも「落ち葉堆肥」で育てていると紹介する農家がいくつもあります。
どこを見に行けばいい?
| 場所 | 見どころ | 時間・料金 |
|---|---|---|
| 旧島田家住宅 (三芳町上富1279-3) | 江戸時代の文化・文政期(1804〜1829年)に建てられたと考えられる茅葺きの大型民家を移築復元。寺子屋が開かれていた時期もある | 9:00〜16:00、無料。月曜・祝日・年末年始(12/28〜1/5)休館。049-258-0220 |
| 多福寺 (三芳町上富1542) | 元禄9年(1696年)、入植した農民の菩提寺として柳沢吉保の命で創建。元禄9年の銘がある銅鐘(県指定)、天保10年の穀倉、開拓時の「元禄の井戸」跡(いずれも町指定) | 拝観時間の案内なし |
| 木ノ宮地蔵堂 (三芳町上富1501) | 開発の拠点「地蔵林」の中心と考えられるお堂。現在の建物の再建は、町の紹介では安永6年(1777年)、県の解説では明和6年(1769年)。天井に107枚の植物画。縁日は4月・8月の23・24日 | 案内なし。ライフバス6-A番線「木ノ宮」下車 |
| 三富今昔村 (三芳町上富1589-2) | 荒れた雑木林を長い年月をかけて保全し、里山に再生した施設(公式サイトの説明) | 10:00〜17:00、火曜休村(GW・夏季・年末年始などで変動)。大人の里山保全費880円(事前登録で770円)。学生・未成年、障がい者手帳などを持つ人(介助者1名まで)は免除。049-259-6565 |
| 毘沙門堂・多聞院 (所沢市中富) | 多福寺とともに柳沢吉保が開拓農民の祈願所として建てた。毘沙門堂は宝暦11年(1762年)の再建(市指定)。近くに江戸時代の納屋式の穀倉(市指定)も | ― |
行き方:上富へは、東武東上線の鶴瀬駅西口・ふじみ野駅西口から出るライフバス6-A番線で「木ノ宮」下車(町の木ノ宮地蔵堂の案内)。三富今昔村は、ふじみ野駅との間に無料送迎バス(約30分)を出しています。また同施設の案内では、西武新宿線の新所沢駅から「ところワゴン」多聞院ルートで「下富霞ヶ台」下車(約30分)でも行けます。団体で旧島田家住宅を見学するときは、町の文化財保護課(049-258-6655)へ事前に連絡を。
見学のマナー:道沿いの屋敷・畑・雑木林は、今も農家が暮らし耕している私有地です。畑や林の中には入らず、道から眺めましょう。落ち葉は大切な堆肥の材料なので持ち帰らないこと。農作業の車が通る道なので、路上駐車も避けてください。
いつ行くのがいい?
秋は、上富の「いも街道」でさつまいもの直売が並ぶ季節(町のいも街道の案内では9月〜1月ごろ)。落ち葉堆肥で育ったいもを買って帰れるのは、この時期ならではです。直売の農家29軒の一覧は「三芳いも街道の直売所29軒」にまとめています。
冬は、農法の主役である落ち葉掃きの季節です。町の解説どおり、雑木林の落ち葉は冬に掃き集められます。葉が落ちた雑木林は見通しがよくなるので、畑の奥に林が続く区画の並びも眺めやすくなるはずです。
旧島田家住宅は月曜と祝日が休館なので、建物の中も見たいなら土日か平日(祝日以外)に。
まとめると、初めてなら秋か冬の土曜日に、バスか車で上富へ。旧島田家住宅で村の成り立ちにふれ、道沿いを歩いて屋敷林・畑・雑木林の並びを眺め、いも街道でさつまいもを買って帰る。それが三富新田をいちばん身近に感じられる回り方です。
出典
- 三芳町「埼玉県指定旧跡『三富新田』」
- 埼玉県「三富地域の歴史」
- 三芳町「武蔵野の落ち葉堆肥農法」が世界農業遺産に認定
- 埼玉県 報道発表(2023年7月6日)
- 三芳町「旧島田家住宅」
- 三芳町「多福寺」・「木ノ宮地蔵堂」
- 三富今昔村・入村案内
- 三芳町「おいでよ!いも街道」
2026年10月7日時点の情報です。


