大宮駅 (埼玉県) anchor.png Edit

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利用可能な鉄道路線 anchor.png Edit

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大宮駅 駅構造 anchor.png Edit

  • JR東日本・東武鉄道埼玉新都市交通相互の連絡改札口はなく、相互間の乗り換えには一度改札の外に出る必要がある。駅の東西の往来は、昭和中期までは駅北側にある国道16号線(現・埼玉県道2号さいたま春日部線)の跨線橋・大栄橋を渡るか、入場券を購入して改札を通る必要があった。しかし、住民の陳情により地下道が設置され、歩行者と自転車は無料で駅の東西の往来が可能となった。しかし、地下道にホームレスが住み着くなど放尿による悪臭問題を始めとした新たな環境問題が起こることとなった。新幹線の開業や大宮操車場の廃止などによる駅の大改装により、改札を通らずに駅舎内を徒歩で自由に往来できるようになった。しかし、地下道が廃止されたことで自転車は大栄橋の利用を余儀なくされた。廃止以前の大宮操車場の荷扱い窓口は西口駅舎の南端にあった。
  • 中央自由通路の改札口前にある金属製の大型オブジェ「行きかう・線」は、開業100周年と埼京線開業記念として日本交通文化協会の発注により東京芸術大学美術学部デザイン科教授の造形家・伊藤隆道(1939年〜)が制作した。駅利用者からは公募によって命名された「まめの木」の愛称で呼ばれ(人によっては単に「まめ」とも言う)、主要な待ち合わせ場所として利用されている。1987年頃、この場所の近くには鉄人28号のオブジェが立っていたこともあるが、元々駅ビル・We(現・ルミネ大宮2)のキャンペーン用として製作されたもので、展示期間終了後に廃棄される予定だったが、その出来の良さから譲渡を求める声が多く寄せられ、最終的に大宮市に存在していた埼玉工業専門学校に譲渡され、同校が伊奈町に移転した現在でも校内敷地の道路に面した位置に展示されている。
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大宮駅 利用状況 anchor.png Edit

  • JR東日本 - 2006年度の1日平均乗車人員は233,719人で、JR東日本の駅の中では新橋駅に次ぐ第8位(第1位は新宿駅)であり、埼玉県内では第1位である。
  • 東武鉄道 - 2006年度の1日平均乗降人員は131,328人で、野田線の駅の中では柏駅に次いで第2位。
  • 埼玉新都市交通 - 2006年3月末現在の1日平均乗降人員は33,672人である。
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大宮駅 駅周辺 anchor.png Edit

  • 当駅は鉄道駅としての規模が大きく、周辺にはオフィスビルやデパートなどが建ち並んでおり、県庁さいたま市役所のある浦和駅前を超える県内最高の商業集積度となっている。この駅前地域の比較により、昔から『文教都市』浦和に対して『経済都市』大宮と呼ばれる事があり、自治体合併でさいたま市となった際も浦和は『行政と教育の中心』、大宮は『経済の中心』と位置付けられた。
  • 大宮駅 東口
    • 「大宮」という地名の元となった氷川神社(西暦927年に成立した延喜式神名帳により武蔵国一之宮名神大社とされ、明治時代には武蔵国の鎮守・勅祭の社となり、明治天皇自らが祭儀を執り行ったという由緒ある神社)の門前町、および中山道大宮宿宿場町として古くから開発されていた地域で、鉄道敷設と駅開設によってさらに賑わいを増した。東口は駅開設と同時に設置されている。
  • 駅前には県下最大の繁華街が広がり、高島屋、ロフト(旧・西武百貨店大宮店)、ルミネ1(駅ビル)、さくらやなどの大型店と数多くの小規模店舗が軒を連ねている。駅前左手には雑貨店が並ぶ「大宮銀座通り」、この通りの北端である大栄橋の北側には特殊浴場などの風俗営業店が多い「大宮北銀座通り」(通称:北銀)へと続き、右手には飲食店や娯楽施設が集まる「大宮南銀座通り」(通称:南銀)がある。歴史が古く、既に開発し尽くされていて、新しい建物は少ない。古い建物に新しいテナントが入ることも珍しくない(好例が前述のロフト)。旧大宮市時代には再開発計画があったが、地元商店街と行政の間の合意形成が難航したために凍結され(駅前に再開発反対の横断幕が掲げられた時期もあった)、合併後、旧浦和市長である相川宗一がさいたま市長に就任すると正式に白紙撤回された。一方で合併後には長崎屋など大型店3店舗が相次いで閉業するなど、西口と比較して地盤沈下の傾向が顕著に現れている。「南銀」界隈には老舗映画館が林立していたが、郊外型大規模店舗の開業やさいたま新都心の整備によって開館したシネマコンプレックスによってすべて閉館に追い込まれた。
  • 駅前広場は現在の需要に対して手狭になっているため、駅前通りにまでバス停が並んでおり、駅から多少歩かなくてはならない路線もある。駅前のバスによる混雑は深刻で、一例としてはかつて存在していた、岩槻区馬込にある小児医療センター行の路線バス(国際興業バス・大14系統(旧))のケースが挙げられる。この路線は小児特定疾患が専門である病院へ行く交通の足であったにも拘らず、駅前の混雑と利用者数の試算を根拠として、路線の始・終点が駅から1つ目の大宮駅前通りバス停に設定されてしまい、移動が大変な難病の子供を抱える保護者などから厳しい批判を浴びることとなった。結局は便宜的に大宮駅前での乗降が行われる様になり、最終的には正式に駅前まで路線が延伸されることとなった(この路線は現存せず、小児医療センターに向かう路線バスはJR宇都宮線蓮田駅東口および東武野田線岩槻駅から発着している)。
  • 2008年時点では、1番から5番乗り場を発着する路線バスに乗車する場合は、ロータリーを横断しなければならない状態である。このため混雑時には隣の乗り場に入るバスと接触しそうになる等、危険な状態にある。この問題を解決するため、同年3月3日から東口駅前の整備工事が開始された。工事完成後は、広場外周歩道からの乗車することが可能になる。
  • 大宮駅 西口
    • 鉄道工場が駅西側に所在することもあって、西口は戦前から設置されていたが、1980年に始まった駅前再開発によって駅構造物が一新され、新たな西口に生まれ変わった。
  • 戦前には駅前に路面電車の西武大宮線が発着した。戦後は長らく終戦後の混乱に紛れて不法占拠していたトタン波板葺きの家屋が多数、軒を連ねる状況が続いた。手狭なため、氷川神社がある東口と比べるとさほどの賑わいはなく、かつては裏口的な存在であった。その当時の西口のシンボルは埼玉県大宮商工会館(現在のソニックシティ前の公園にあった)だけであり、バスに乗るためには、ここの裏側にあったバスターミナルまで歩くことを余儀なくされていた。
  • 西口を最寄りとする大宮市二ツ宮(現在の西区二ツ宮)に埼玉県警運転免許試験場が設置され、受験者が多く乗降したことから、運転免許の試験教室が数多く存在し、「西口で最も繁盛する商売は運転免許の試験教室」と言われ、平日の朝には受験者の勧誘が立ち並ぶという状況が長く続いた。その後、運転免許試験業務は鴻巣市に設置された埼玉県警運転免許センターへ移転したことに伴って、これらの教室群はほぼすべてが鴻巣駅東口に移転しており、現在の西口にその姿はほとんど見られない。
  • 1980年からの再開発によって駅前ロータリーが整備されると共に、周囲には大宮ソニックシティをはじめとしてルミネ2(駅ビル)、大宮そごう、ビックカメラ大宮西口そごう店、JACK大宮、大宮西口共同ビル(DOMショッピングセンター)(ダイエー・丸井・東急ハンズ・OPAの複合店舗。開店当時からのテナントであるダイエーと丸井の社名と「大宮」の頭文字及び「ドンドン集客」との意味で正式名称は『ドン』であるが、『ドム』と呼ばれてしまうことがある)、大宮アルシェ、シーノ大宮(ノースウィング・サウスウィング・センタープラザ)などのビルが相次いで建設され、様相が一変した。
  • 駅建物とこれらのビル群は地上2階のペデストリアンデッキで結ばれており、地上に降りずにビルに入ることができる。反面、バス停はデッキから階段を下りる必要があり、今のところエスカレータやエレベーターは設置されていないため、ユニバーサルデザインの観点から課題となっている(駅出口のエスカレータは存在しており、ペデストリアンデッキから駅階段下に至るエレベーターは設置されている)。
  • テレビ中継などで大宮駅前が映される際は、この西口デッキ上であることが多い。西口再開発以前は東口駅舎を映すのが通例であった。
  • 当駅と成田空港を結ぶリムジンバス「ONライナー」とタクシーの乗り場は、駅前ロータリー内でも駅に隣接する位置に設置され、駅建物内のエスカレータを利用することができる。
  • 西口駅前ロータリー一帯は、かつて県内の駅前でも有数の二輪車の違法駐輪の目立つ地点の一つだったが、近年は自治体などの要望により違法駐輪の取り締まりが強化されて、自動二輪車の駐輪は目に見えて減っている。また、駅前から北は大栄橋、西は国道17号と駅前通りの交差する交差点付近までの一帯は、埼玉県内でも最も交通渋滞の激しい地点の一つであり、その状況は慢性的で深刻である。
  • 駅から500mほど離れた国道17号を越えると閑静な住宅地が広がる。高層マンション開発は少ない。
  • 鉄道の町とも言われる由来となった国鉄大宮工場から名称変更されたJR東日本大宮総合車両センターと日本貨物鉄道(JR貨物)大宮車両所が西口から徒歩10分ほどの距離にある。
  • 鉄道博物館大宮駅から徒歩で行く場合には、西口が最寄り出口である。ここから北に向かって新幹線の高架を右手に見ながら歩く。
  • 大宮駅 その他の出口
    • 前述の東口と西口のほか、地下の埼京線川越線コンコースから直接外に出る埼京線西口と埼京線南口があり、共に西口側のLUMINE2につながっている。埼京線西口は7:00〜22:00、埼京線南口はLUMINE営業時間中のみ利用可能である。
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大宮駅 歴史 anchor.png Edit

  • 日本鉄道によって、1883年に東京から北へ向かう初の鉄道である上野駅〜熊谷駅間の路線が開業したとき、県庁所在地である浦和駅の次の駅は上尾駅であって、大宮に駅は設けられなかった。氷川神社のお膝元として栄えた町にも拘らず、明治維新以後衰退して鉄道開業当時は243戸の家しかなく、駅を大宮に作るとすると、当時としては駅間の距離が短くなってしまうことが原因であった。当時の機関車は牽引力が低かったため、短い間隔での駅設置はしないことが基本となっていた。
  • 上野駅から青森駅へ向かう現在の東北本線を建設する際に、高崎駅・前橋駅へ向かう路線のどこから分岐させるかが問題になった。浦和・大宮・熊谷の3案があった。熊谷案は当時最大の輸出品目である繊維産業の中心地である桐生・足利を経由するなどといった理由で具体的検討がなされた。浦和分岐案は、経由する岩槻の者が鉄道忌避を起こした。アメリカ人技師のクロフォードは宇都宮への最短経路となる大宮経由で建設すべしといった意見を出した。最終的には井上勝の決断によって大宮はその起点となる地として、駅が設けられることになった。
  • 1894年には隣接して大宮工場(現:大宮総合車両センター・大宮車両所)が設けられ、さらには日本の重要幹線の分岐駅という交通の要衝であったから、駅を中心にして大宮は「鉄道の町」として栄えるようになった。当時は近隣住民の長男は家業の農業を継ぎ、次男以下が大宮工場に勤務するのが珍しくなかった。これにより大宮の住民生活は地域内でほぼ完結し、一方浦和住民は東京への通勤が多く、周辺との交流が乏しかったことが大宮・浦和の不仲の遠因となっている。
  • 1906年には、川越馬車鉄道が改称した川越電気鉄道が川越久保町〜大宮の路面電車線(電気鉄道)を開業させる。これは後に西武鉄道へ合併されて同社の大宮線となるものの、川越線の開業で打撃を受け、1940年に休止、翌1941年廃止された。路線跡はDOMビルとJACK大宮の間を通り、その先のマロウドイン大宮に至る区間が道路として残っている。そこから先は現在の国道17号中山道)桜木町交差点まで直線で線路が敷設されていたが、一部を除き線路跡が路地として残っている。同交差点の付近に当駅から出て最初の駅である大成駅があった。かつて大成駅を名乗っていた埼玉新都市交通伊奈線鉄道博物館(大成)駅とは全く関係ない。
  • 1982年の東北・上越新幹線暫定開業時には始発駅となった。線籍上の上越新幹線の起点であるため、0キロポストが存在する。隣接して、110年の歴史を持ちD51形の復元なども行ったJR東日本大宮総合車両センターとJR貨物大宮車両所、JR東日本大宮支社がある。そして2007年10月14日には交通博物館が鉄道博物館と改称して移転されたなど、21世紀においても鉄道の町としての地位を保ち続けている。
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大宮駅 年表 anchor.png Edit

  • 1885年(明治18年)3月16日 - 日本鉄道線の駅として開業。
  • 1885年(明治18年)7月16日 - 後の東北本線となる栗橋駅までの路線が分岐開業。
  • 1902年(明治35年)5月9日 - 川越電気鉄道(後の西武大宮線)川越久保町〜大宮間が開業。
  • 1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道が鉄道国有法に基づき政府に買収され国有化、逓信省鉄道作業局に移管される。
  • 1929年(昭和4年)11月17日 - 北総鉄道(後の東武野田線)大宮〜粕壁(現・春日部)間が開業。当時は仮駅で開業。
  • 1929年(昭和4年)11月22日 - 北総鉄道が総武鉄道に社名変更。
  • 1929年(昭和4年)12月11日 - 総武鉄道が大宮〜大宮(仮駅)間を開業。
  • 1932年(昭和7年)9月1日 - 京浜東北線赤羽〜大宮間延伸開業。
  • 1940年(昭和15年)7月22日 - 川越線開業。
  • 1941年(昭和16年)2月25日 - 西武大宮線廃止。
  • 1944年(昭和19年)3月1日 - 総武鉄道が陸上交通事業調整法に基づき、東武鉄道に吸収合併される。
  • 1961年(昭和36年)2月17日 - 貨車ヤードおよび貨物取り扱い業務を大宮操駅として分離。
  • 1967年(昭和42年)10月3日 - 民衆駅化され、大宮ステーションビル・OSB(現・LUMINE大宮1)が開業する。
  • 1982年(昭和57年)6月19日 - 大宮ステーションビルの新館としてWe(現・LUMINE大宮2)が開業する。
  • 1982年(昭和57年)6月23日 - 東北新幹線大宮〜盛岡間が開業。
  • 1982年(昭和57年)11月15日 - 上越新幹線開業。
  • 1983年(昭和58年)12月22日 - 埼玉新都市交通大宮〜羽貫間が開業。
  • 1985年(昭和60年)3月14日 - 東北・上越新幹線上野〜大宮間が延伸開業し、暫定始発駅としての役割を終える。
  • 1985年(昭和60年)9月30日 - 建設当初「通勤新線」と呼ばれていた埼京線が開業し、川越線大宮〜川越間との直通運転開始。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅になる。
  • 2005年(平成17年)3月5日 - JR東日本のステーションルネッサンス計画の第一弾として、駅構内ショッピングモール(駅ナカ)「エキュート大宮」が開業する。
  • 2006年(平成18年)3月18日 - 東武線直通特急「(スペーシア)日光・きぬがわ」運転開始。
  • 2007年(平成19年)2月18日 - 3月18日にSuicaとの相互利用が開始となるIC乗車カード「PASMO」の利用試験がJRと東武の改札口で行われた。
  • 2008年(平成20年)3月15日 - モバイル「Suica」特急券のサービス開始

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最終更新: 2007-12-06 (木) 11:56:09 (JST) (3849d) hatanaka
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