• 相川 宗一(あいかわそういち、1942年9月13日-)は、日本の政治家。さいたま市長。慶應義塾大学商学部卒業。埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身。
  • 1980年、旧浦和市から埼玉県議会議員の補欠選挙で埼玉県議会議員に当選(自由民主党)。以後、埼玉県議を3期務めた後、1991年に浦和市長選挙に立候補。5選を目指した現職の中川健吉を破り、第18代浦和市長に就任。以後、浦和市長を3期務めた。2001年5月1日、浦和市大宮市与野市との新設合併(さいたま市施行)に伴い失職し、5月27日執行の市長選挙で旧大宮市長であった新藤享弘などを破り、初当選した。
  • また、2005年5月15日執行の市長選挙では自民党県議中森福代を破り、再選を果たした。
  • 浦和市長選挙初出馬時、地元選出の自民党衆議院議員松永光は中川健吉を支持したことから、以後松永と対立。市長就任後は自民党との間に一定の距離を置くようになった。市長選挙には毎回民主党・公明党の推薦で立候補しているが、政治信条は一貫して保守であり、市議会において新しい歴史教科書をつくる会による歴史教科書に賛意を表明するなどしている。
  • 旧浦和市長時代には市内に本拠を置くプロサッカークラブ、浦和レッドダイヤモンズのファン(レッズ後援会の会長)であることを公言していた。旧浦和市が合併し新市さいたま市の市長に当選してからは、さいたま市として合併した旧大宮市に本拠を置く大宮アルディージャの存在に配慮して公言は控えている。これは、アルディージャ後援会の会長に就任したためである。(双方の後援会の会長は、ホームタウン所在地の市長が就任する事と決められているため) 両チームが対戦するさいたまダービーも「自分が会場に行くと角が立つ」と言う理由でもっぱらテレビ観戦だと言う。
  • 旧浦和市長だった経歴や合併時の対立等から旧大宮市域において不人気で、旧与野・岩槻も含めた市民融和が大きな課題となっている。
  • 家業は元禄年間から続くという米穀商。祖父・相川宗次郎と父・相川曹司は共に、元浦和市長で、親子三代同一市町村の市長となったが、旧浦和市のような大きな自治体で、かつ県庁所在地では全国的にも非常に珍しい。

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