三浦貴 anchor.png Edit

  • 2001年、阿部慎之助と同い年・同期入団で開幕一軍に加わりバッテリーを組んだ。1年目から中継ぎ投手として140キロ台後半の直球とカーブ、フォークを武器に活躍。プロ初勝利を含む3勝を記録し、49試合に登板して防御率3.41の成績だった。
  • 2002年、緒方孝市に与えた頭部死球をキッカケに相手打者のインコースへ投げられなくなってしまい、それ以降は登板機会が無くなってしまった。この年新規定になって初めての危険球退場者であった(ちなみに二人目の危険球退場者は同じ高校出身の1年先輩木塚敦志で、木塚が当てたバッターも緒方であった)。
  • これを見兼ねた当時の原辰徳監督が「投手なら3000万円どまりだが野手なら2億円稼げる素質がある」と熱烈に説得。2003年から内野手(三塁手)に転向。2004年からは打撃に専念するため外野手に転向した。野手転向後の初安打が本塁打と非凡な打撃センスを見せつけた。将来性の豊かな選手の1人として注目されていた。
  • 2005年二軍で打率.256・10本塁打・47打点(チームトップ)・長打率.507をマークし、2006年は打率.288・5本塁打・6盗塁、2007年は打率.241・6本塁打・6盗塁と、二軍で主力選手として活躍した。しかし一軍ではなかなかチャンスを生かせず、目立った成績も出せない状態が続いていた。
  • 2007年11月2日に戦力外通告を受け、戦力外後は、11月17日に第1回12球団合同トライアウトと11月27日の第2回12球団合同トライアウトにも参加したが獲得のオファーはなかった。11月30日に自由契約公示された。一時期は引退を決意していたが、その後12月28日に外野手の補強を理由に西武が獲得することが報じられた。2008年1月10日に埼玉西武ライオンズと正式契約を結び、同日入団会見を行った。
  • 運動能力が高くスポーツマンNo.1決定戦で総合No.1に輝いた実績を持つ。過去3回出場。2002年総合8位、2004年総合No.1、2005年総合3位。モンスターボックス(跳び箱)ではプロスポーツマン記録20段を越え、TAIL IMPOSSIBLE(持久走)では過去3回全てNo.1になっている。

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最終更新: 2008-09-03 (水) 22:06:23 (JST) (3128d) hatanaka
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